みんな元気ですか
続きだよ・・・
外国船が遭難した時には、見知らぬ外国人にでも、
日本人は自分たちが苦しい中にも分け与え
手を差し伸べてきました。
当時の政府も一丸となって人道的な道を探り
なんとか彼らを故国に返そうとしました。
この日本人独特の生き方はそれが当たり前であり、
その中にいるとなかなかはっきりと世界の中では
非常に特別なことだという事がわかりません。
最近でこそ、外国との交流が進むなか、
彼我の違いに気が付くことも多くなりました。
時にはこの日本人独特の「人のよさ」が逆に明らかに
利用されていることを思い知らされることもあります。
しかし自分たちの特質をより深く理解することにより
多くの場合外国との困難が避けられるような気もするのです。
日本人を外国の叡智がどのようにとらえていたのかを
知ることも一つの方法と思います。
以下はあの天才物理学者アルベルト・アインシュタインが
日本を訪れた時にどんな印象を持ったのかがわかる文章です。
前回と同じMAG2NEWSより引用します。
出典はアインシュタインの以下の著書:
『アインシュタイン日本で相対論を語る』アルバート・アインシュタイン
杉元賢治/翻訳 講談社
・・・
大正11(1922)年11月17日、アインシュタインを乗せた日本郵船の北野丸は、瀬戸内海を通って、神戸港に近づいた。フランスのマルセイユを出てから、1カ月以上の船旅だった。瀬戸内海の景色について、アインシュタインはこう記している。
日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれるひとつの理由があります。それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも落ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。
ですから、性格上おたがいに合わないような人たちであっても、一つ屋根の下に住んでも、厄介な軋轢や争いにならないで同居していることができるのです。この点で、ヨーロッパ人がひじょうに不思議に思っていた日本人の微笑みの深い意味が私には見えました。
個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある個人みずからを抑えてしまうことになるのでしょうか? 私にはそうは思えません。この伝統が発達してきたのは、この国の人に特有のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、同情心の強さゆえでありましょう。
「不思議な微笑み」の背後にあるもの、それは「和をもって貴し」とする世界であった。
「自然と人間は、一体化している」
日本人の「個人の表情を抑えてしまうこのやり方」のために、アインシュタインは日本滞在中も、その心の奥底に入り込むことはできなかった。
けれども、人間同士の直接の体験が欠けたことを、芸術の印象が補ってくれました。日本では、他のどの国よりも豊潤に、また多様に印象づけてくれるのです。私がここで「芸術」と言うのは、芸術的な意向、またはそれに準じ、人間の手で絶えず創作しているありとあらゆるものを意味します。
この点、私はとうてい、驚きを隠せません。日本では、自然と人間は、一体化しているように見えます。…
この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じてあたえられたものと密接に結びついています。
かわいらしいのは、小さな緑の島々や、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さな一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用しているあらゆる家具等々。
…どの小さな個々の物にも、そこには意味と役割とがあります。そのうえ、礼儀正しい人びとの絵のように美しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかりです。しかし、真似することはきません。
「和をもって貴し」とする世界で、人びとは自然とも和して生きてきたのである。
・・・
以上はアインシュタインの著書からのものです。
彼が国同士の争いと、個人間の熾烈な競争社会で
見てきたものと全く違う平和な世界がそこにあったことに
強烈な印象を受けていることがよくわかります。
(14才のアインシュタイン/ウイキペディア)
彼はユダヤ人です。
ヨーロッパでは近世においてそのことが意味すること・・・
迫害や誹謗中傷、あるいは人間として不当な扱いを受ること、
それらのすべてを受け止め、経験して生きて来たと思うのです。
だからこそ日本滞在の43日間は特に新鮮に
映ったのだと思います。
以上の著書ではなく、1922-23年の訪日時の日記にて
彼はまた日本人より受けた印象を以下のように語っています。
「日本人は謙虚で質素、礼儀正しい、まったく魅力的です」
「他のどこにも存在しないくらい純真な魂たち。
誰でもこの国を愛し、敬うだろう」・・・
続きます・・・
(純真な魂って・・・)
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