水晶サソリ戦ではほぼ体力を使わなかったが、常に気を張っていたから、精神的に疲れた。
まだ未明と言える時間帯だし、アンジェリカも起きていないだろう。もし屋敷の中で出くわしても、虫を獲りに行ってました、とでも言い訳しておこう。
「ふぁ〜あ⋯⋯」
俺が庭の門柱を通り過ぎた時、ふと目の端に見慣れた姿が映る。
その正体が何か分かった瞬間、俺の足は石のように動かなくなってしまった。
「⋯⋯⋯⋯シャーフ」
「ね、姉さん⋯⋯?」
なぜ。
なぜアンジェリカが、こんな時間に、門柱の影に佇んでいるのか。
「どこに、いってたの?」
「あー、ちょっと、林の方に虫捕りに」
「パパの短剣を持ち出して?」
「デカい虫なんです」
⋯⋯まずい。これは非常にまずい。
この、アンジェリカの真っ直ぐな瞳は、嘘をついてもバレてしまう。というか俺が嘘つくのが苦手なんだが。特に対アンジェリカにおいて。
さて、もし俺が正直に話すしかないが、果たしてアンジェリカの反応はどうだ?
A.泣く。
B.褒める。
C.疑う。
「姉さんごめんなさい。実は、村の子供が行方不明になったと聞いて、その捜索に行ってました」
俺の予想は⋯⋯C!
というかCを希望する。疑ってくれたらまだ『冗談でした』で誤魔化せる可能性がある。
さて、正解やいかに――。
「ああ⋯⋯あなたって子は⋯⋯」
アンジェリカの瞳からは大粒の涙が溢れ、頬を濡らしている。
正解はA.泣く。でした。これは1番外れて欲しかった答えだ。
「あ、あの⋯⋯子供は無事でした⋯⋯」
「シャーフも子供でしょう! もう、本当に――」
アンジェリカは俺を抱きしめた。
「シャーフ⋯⋯あなたは勇敢ね。でも、あまり無理はしないで。あなたがいなくなったら⋯⋯わたしは寂しくて死んでしまうわ」
「ごめんなさい、姉さん⋯⋯」
ああ、アンジェリカを喜ばせるつもりが、悲しませる結果になるとは。
今回の件は少し軽率すぎた。次は――次がない事を祈るが、もし次があったら、まずはこの優しい姉に相談しよう。
「お屋敷に戻りましょう? お姉ちゃん、今日は一緒に寝てあげるから」
「はい、姉さん⋯⋯」
本当に、優しい子だ。
かつて、俺はこんなにも、無償の愛を注がれた事があっただろうか――。
***
三馬鹿行方不明事件が起きてから、一週間が経った。村人からの対応は事件前と変わらず、塩対応だ。
「こんにちは、坊ちゃん」
「どうも、マイノルズさん」
ただ、スミスさんが何かを働きかけたのか、こちらから挨拶する前に、あちらから声をかけられる様になった。
あの夜に向けられた畏怖の視線もなく、ただの子供に接する様で、居心地は悪くない。
んでもって、一番の変化を見せたのはパティだ。
「シャーフぅ、明日はどんな訓練する?」
「⋯⋯離れろ、暑苦しい」
パティはあの事件以来、やけに俺に引っ付いてくる。常に手を握りたがり、それを許可すると指まで絡めてくる有様だ。
顔もやけに近く、お前まだ六歳児だろ、と突っ込みたい心境である。
「だって離れるとすぐどっかにいっちゃうもん」
「どこにもいかないって⋯⋯」
⋯⋯まあ、懐いてるだけだな。
恋に恋する年頃⋯⋯にはちょっと早いかも知れんが、そんなもんだろ。俺はロリコンではないので、このマセガキの攻めに陥落する事はないと断言しよう。
無理やりパティを引き剥がすと、口を尖らせた。
「ぶー!」
「豚か。ほら、スミスさんが迎えに来たぞ」
「あっ本当だ! じゃあまた明日ね、シャーフ!」
パティは俺の頬に軽く口付けすると、門の方へ駆けて行った。
「お父ちゃーん!」
頬を拭いつつ、スミス氏の胸に飛び込むパティを眺めて苦笑する。マセガキめ。
スミス氏も遠くから手を振り、二人は麦畑の彼方へと去って行った。
「⋯⋯さてと」
一件落着と言いたいところだが、まだ解決すべき問題が残っていた。
***
西大陸、グラスランド王国の、とある町。
宿の一室で、男女が言葉を交わしていた。
「首尾はどうだった?」
「間違いないわ。不死の体に白い宝剣。北大陸で見た伝承通りよ」
女からの報告に、男は手を叩く。
「ハッハー、オレの目に狂いは無かったって事だな! 次のネタはこれで決まりだ」
「はあ、もう疲れたわ。水晶洞窟の魔物も一掃して⋯⋯あの子も靴を片っぽ失くすし⋯⋯」
「御苦労、御苦労。ま、後は待つのみだ。ゆっくりしてろ」
女が部屋から退出すると、男は笑みを浮かべて独り言ちる。
「さあて、女神が出るか、悪魔が出るか――」
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★1,681異世界ファンタジー連載中 321話
まだ未明と言える時間帯だし、アンジェリカも起きていないだろう。もし屋敷の中で出くわしても、虫を獲りに行ってました、とでも言い訳しておこう。
「ふぁ〜あ⋯⋯」
俺が庭の門柱を通り過ぎた時、ふと目の端に見慣れた姿が映る。
その正体が何か分かった瞬間、俺の足は石のように動かなくなってしまった。
「⋯⋯⋯⋯シャーフ」
「ね、姉さん⋯⋯?」
なぜ。
なぜアンジェリカが、こんな時間に、門柱の影に佇んでいるのか。
「どこに、いってたの?」
「あー、ちょっと、林の方に虫捕りに」
「パパの短剣を持ち出して?」
「デカい虫なんです」
⋯⋯まずい。これは非常にまずい。
この、アンジェリカの真っ直ぐな瞳は、嘘をついてもバレてしまう。というか俺が嘘つくのが苦手なんだが。特に対アンジェリカにおいて。
さて、もし俺が正直に話すしかないが、果たしてアンジェリカの反応はどうだ?
A.泣く。
B.褒める。
C.疑う。
「姉さんごめんなさい。実は、村の子供が行方不明になったと聞いて、その捜索に行ってました」
俺の予想は⋯⋯C!
というかCを希望する。疑ってくれたらまだ『冗談でした』で誤魔化せる可能性がある。
さて、正解やいかに――。
「ああ⋯⋯あなたって子は⋯⋯」
アンジェリカの瞳からは大粒の涙が溢れ、頬を濡らしている。
正解はA.泣く。でした。これは1番外れて欲しかった答えだ。
「あ、あの⋯⋯子供は無事でした⋯⋯」
「シャーフも子供でしょう! もう、本当に――」
アンジェリカは俺を抱きしめた。
「シャーフ⋯⋯あなたは勇敢ね。でも、あまり無理はしないで。あなたがいなくなったら⋯⋯わたしは寂しくて死んでしまうわ」
「ごめんなさい、姉さん⋯⋯」
ああ、アンジェリカを喜ばせるつもりが、悲しませる結果になるとは。
今回の件は少し軽率すぎた。次は――次がない事を祈るが、もし次があったら、まずはこの優しい姉に相談しよう。
「お屋敷に戻りましょう? お姉ちゃん、今日は一緒に寝てあげるから」
「はい、姉さん⋯⋯」
本当に、優しい子だ。
かつて、俺はこんなにも、無償の愛を注がれた事があっただろうか――。
***
三馬鹿行方不明事件が起きてから、一週間が経った。村人からの対応は事件前と変わらず、塩対応だ。
「こんにちは、坊ちゃん」
「どうも、マイノルズさん」
ただ、スミスさんが何かを働きかけたのか、こちらから挨拶する前に、あちらから声をかけられる様になった。
あの夜に向けられた畏怖の視線もなく、ただの子供に接する様で、居心地は悪くない。
んでもって、一番の変化を見せたのはパティだ。
「シャーフぅ、明日はどんな訓練する?」
「⋯⋯離れろ、暑苦しい」
パティはあの事件以来、やけに俺に引っ付いてくる。常に手を握りたがり、それを許可すると指まで絡めてくる有様だ。
顔もやけに近く、お前まだ六歳児だろ、と突っ込みたい心境である。
「だって離れるとすぐどっかにいっちゃうもん」
「どこにもいかないって⋯⋯」
⋯⋯まあ、懐いてるだけだな。
恋に恋する年頃⋯⋯にはちょっと早いかも知れんが、そんなもんだろ。俺はロリコンではないので、このマセガキの攻めに陥落する事はないと断言しよう。
無理やりパティを引き剥がすと、口を尖らせた。
「ぶー!」
「豚か。ほら、スミスさんが迎えに来たぞ」
「あっ本当だ! じゃあまた明日ね、シャーフ!」
パティは俺の頬に軽く口付けすると、門の方へ駆けて行った。
「お父ちゃーん!」
頬を拭いつつ、スミス氏の胸に飛び込むパティを眺めて苦笑する。マセガキめ。
スミス氏も遠くから手を振り、二人は麦畑の彼方へと去って行った。
「⋯⋯さてと」
一件落着と言いたいところだが、まだ解決すべき問題が残っていた。
***
西大陸、グラスランド王国の、とある町。
宿の一室で、男女が言葉を交わしていた。
「首尾はどうだった?」
「間違いないわ。不死の体に白い宝剣。北大陸で見た伝承通りよ」
女からの報告に、男は手を叩く。
「ハッハー、オレの目に狂いは無かったって事だな! 次のネタはこれで決まりだ」
「はあ、もう疲れたわ。水晶洞窟の魔物も一掃して⋯⋯あの子も靴を片っぽ失くすし⋯⋯」
「御苦労、御苦労。ま、後は待つのみだ。ゆっくりしてろ」
女が部屋から退出すると、男は笑みを浮かべて独り言ちる。
「さあて、女神が出るか、悪魔が出るか――」
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