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オムネク(5) 地球はカルマの解消ができる唯一の惑星
オムネク(4) 近隣の進化した惑星のことを知られると困る者たち
オムネク(3) 我々に与えられる宇宙情報は操作されている
オムネク(2) 人類を援助し続けてきた宇宙の存在たち
オムネク(1) 太陽系の近隣の惑星には進化した文明が存在する
 

(6)人は精神的に成熟すると宗教に満足できない

投稿者 zeranium 日付 2012年8月30日 (木)

 

もし人々が、自らの行為のすべてといつか必ず真正面から向かい合うことになるということを知っていたなら、正常な心の持ち主であれば、他人を苦しめたり悲しませたり、傷つけようなどとは決して思わないでしょう。それは、自分がして欲しいと思うことを人にもするということなのです。他人に為した行為は、いつか必ず自分にも為されるということで、それは自分が与えたものをいずれ自分が受け取るということなのです。

私は地球に来て、慈悲についてのシンプルな教訓を学びましたが、それはどの惑星に生きる人々であっても、その人なりの学びがあるということと同じことです。また私の地球での人生は、金星のような進化した惑星に転生したからといって、過去世で作った自分のカルマという課題からは、逃げられるものではないということを証明するものでもあります。

数十年前までは、人々は私が述べたような考え方を受け入れる準備はまだできていなかったでしょう。しかし多くの意識や認識が新しい段階を迎えたことが、この本の出版を可能にしました。そして人々の私に対する反応いかんによっては、さらに多くの私の仲間たちが自らの出身を告白するようになるかもしれません。私が地球に来ている個人的な理由以外に、私たちは地球人の意識というものについて非常に深い関心を持っています。これは生命や宇宙についての基本的な理解に関わることであるとともに、全体における自分というものの認識に関わるものです。

今の地球において私たちの全体的な関心は、地球人の精神的な覚醒に向けてある役割を担うことです。それは政治的、社会的な変革が私たちの直接的な目標ではないからです。誰の生き方もそうであるように、地球の人々の生き方は、自らの精神的な開花の程度だけ、あるいは個々の意識の目覚めの程度だけを反映したものに過ぎないということです。物理的な3次元的宇宙に生きる理由は、霊的な覚醒のためにほかなりません。ですから人々のどのような人生の局面においても、この大きな計画から逸(そ)れるものはないのです。

地球には聖職者と言われる人々がいますが、それについての私たちの考え方も、おそらくあなた方が期待するようなものではないでしょう。つまり霊的な覚醒とは、宗教的な献身者になったり、または聖者のように生きようとしたりすることではないからです。私たちの精神的な教えとは、実際には高度な形の科学なのです。

霊的なものと科学とは、本来一つのもののある側面を言い表しているに過ぎず、別々のものではないのです。その真理の一端に、神や命や死について、また来世や転生についてなどの理解があり、この側面が地球の人々が宗教的に、また精神的なものとして探求しているものです。そしてもう一端のスペクトルには、物理的な宇宙とその法則の完全なる理解が示されており、それは驚くほど素晴らしいテクノロジーとして反映されているものです。

過去の時代において、金星から地球へと精神的な指導者が送り込まれてきましたが、彼らがもたらした教えのいくつかは、その後宗教として発展したものがありました。その教えの多くは今日では、とても限定された意味での自由や英知、そして愛を教えています。しかし私たちはそれらの教えのどれをも非難することはできません。なぜならそれぞれの教えが、一定の意識レベルの信奉者を引き付けており、そのレベルは多様なのです。

もしその道が一個人の求めているものを提供することができ、その人を満足させるのであれば、それは彼にとって良い方向だと言えるのです。けれども人が精神的に成熟すると、彼はもはや伝統的な宗教やそれらが示す探求の道に満足しなくなります。なぜならそれらには、何か重大なものが欠けていることを理解するようになるからです。

私はテネシー州で過ごした子供時代に、プロテスタント系の教会に通わされました。その教えは私にはとても原始的に感じられました。私はこの国で出会ったさまざまな精神的教えに幻滅させられ、その制限の多さに苦痛を感じるようになりました。金星人たちは、人が作った法則よりも、自然のあらゆる面において神聖で自然な法則に従って生きています。これはまさに、地球と他の惑星との基本的な相違なのです。個人的な体験というものは「極めて自然な何か」なのですが、それは地球にある伝統的なあらゆる宗教や探求の道において、明らかに欠落しているものです。

金星では、「オム ノシア ゼディア」と呼ばれる至高なる神聖な教えがあります。それは普遍的な教えのことであり、名前は変わることがあっても教えは変わりません。それは然るべき時に、そして人々が受け入れる準備ができた時にもたらされることでしょう。その「教え」は地球に植民が行なわれるようになった時以来、存在しているものです。

そしてそれ以来、多くの異なる名前で教えられてきました。ある時にはオープンに、またある時には密かに、人から人へと伝えられてきました。レムリアやアトランティスの時代にはオープンに教えられていましたが、ほとんどの時代においてはカモフラージュして教える必要がありました。

なぜならこの「教え」は、人々に自由をもたらし、気づきを与えるものであるからです。そのために、組織化された伝統的な宗教団体や支配者たちは、この「教え」は自分たちの繁栄と安泰を脅かすものであると考えています。それで、これまでにも権力者によって何らかの抑圧を受けてきました。そしてピタゴラス(紀元前5、6世紀のギリシャの哲学者、数学者)はその教えをマスターし、哲学という隠れ蓑に隠してそれを密かに伝えていた人でした。

イエスは愛の英知としてその教えをもたらしました。このもっとも古い教えは、何千年もの間チベットで知られており、最初に地球に植民が行なわれた当時からここでは知られていたのです。ある時代に、強い勢力を持った宗教団体によって計画的に、この「教え」がしっかり抑圧されてしまったことがありました。そこで地球に再び、この「教え」をもたらすことが必要になり、そこでヒマラヤの奥深い場所が選ばれました。そこではこの「教え」の根本となるものが今日でも厳重に護られています。

もしティサニァ(金星)の人々の進化にさらなる貢献をした要素を一つ上げるとすれば、それはこの「教え」の科学であると言えます。それは至高なる神聖な法則ともいえるものです。それは私たちに、時間と空間、物体とエネルギーという宇宙の最奥の秘密を発見させてくれました。さらに私たちは、人間そのものや心というもの、また意識というもっとも深遠な神秘の扉を開けることができました。

これらのすべてが金星での生活において、そして地上の楽園のような世界として反映されています。金星には貧困や戦争はありません。そして私たちは病気というものも知りません。人々の寿命は何百歳にも及び、肉体の加齢は20歳から30歳の間で止まります。(訳者註: 物理的な世界の金星人の寿命は500歳をも超えるが、アストラル界に属する金星においては時間の概念が異なるようである) 


都市のサイズは大きくなく、シンプルなデザインで設計されています。そして犯罪は存在しません。金星ではずっと昔に磁気と太陽エネルギーが開発され、それが私たちの生活を根本的に変えました。宇宙とは私たちにとって最大のチャレンジの場所でもあります。宇宙とは、常にさらなる学習ができるようにデザインされているところなのです。

私たちの宇宙船は重力や摩擦、それに光速といわれているものからも自由で、私たちの宇宙船は光よりも速く飛行することができます。宇宙船の母船のサイズは何キロメートルにも及ぶものがあり、太陽系の他の惑星まで行くのに数日しか要せず、むしろ別の太陽系に行くほうがもっと速いのです。

私たち金星人は、誰もが自分の心と意識の力についてよく知っています。あなた方地球人が超能力と呼ぶ能力は、私たちにとってはほんの初歩的なものであり、子供だましにしか過ぎません。テレパシーは私たちの通常のコミュニケーション手段です。そして私たちは未来を展望することも、過去世を思い出すこともでき、また思念の力で物体を動かすこともできます。私たちの多くは、時間の中を前進したり後退したりすることを学びました。しかしこのような能力を行使しようとする者は、その能力に対して責任が取れるほど精神的に成熟していなければなりません。

ネガティブな惑星に生きていると、このような力をすぐ誤用してしまうことになります。そして地球にもそのような人たちがおり、その能力を無分別に軽い気持ちで使っていますが、彼らはその代償を数多くの来世において支払い続けることになるでしょう。私はそのような能力はもっとも緊急を要する時以外は決して使いません。そしてその際には、細心の注意を払う必要があるのです。

私たちはこの物理的な宇宙を越えた別の宇宙が存在することを発見しました。そして自由に、その世界を行き来できるようになったのです。金星においてはそれ自体が科学そのものになりました。地球のある人々はこの世界を「平行宇宙」と呼んできました。そのような世界は実際に確かに存在しており、そこでは別な秩序である座標の時間や空間、物質、そしてエネルギーが支配しています。

また時間や空間、物体、エネルギーを超越した世界も存在しています。それらの世界を発見し、探求していく中で、私たちは「死」と呼ばれる神秘も解き明かすことができました。それは別世界の中の一つへ移行していくだけのことであり、それぞれの人生における単なる自然の側面でしかなかったのです。

死は地球においては、依然として不可思議なものであり続けています。それは単に、これらさまざまな現実や存在を発見したり探求したりする人がいないからなのです。地球人たちには、これから解明していかなければならない宇宙における生命の神秘が、大きな課題として横たわっています。私の述べることが、あなた方の暮らす世界とご自身の内面の世界を、より深く探求し、解明していくことを願っています。

私はたとえあなた方が、私の話す金星の話を想像の産物として結論づけたとしても、心を乱されることはありません。人間が創造したすべてのもの、またあなた方の周りにあるあらゆる人工物は、想像から生まれたものなのです。想像力とは人間のもっとも強力な能力であり、人間が超人類となるための鍵でもあるのです。想像力を有する人間は、神ご自身と等しい創造者なのです。


📕「私はアセンションした惑星から来た」金星人オムネク・オネクのメッセージオムネク・オネク著 徳間書店   抜粋 
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-9892.html

 



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(5)地球はカルマの解消ができる唯一の惑星

投稿者 zeranium 日付 2012年8月30日 (木)

 

皆さんにとっては興味深い事実をお伝えしましょう。それは土星や木星における地表での重力は、地球の科学者たちが推測しているほど大きなものではないということです。同様に、海王星や冥王星、そしてそれより外側の惑星は、氷点下の気温の惑星ではありません。太陽からの距離は、水星を例外として、どの惑星の表面の気温にも影響を与えることはありません。海王星とその外側の惑星が、海王星と冥王星の間にあるアステロイド帯(小惑星帯)の影響を受けているというのは本当です。

それはアステロイド帯が真空管のグリッドと同じ働きをして、太陽からの放射エネルギーを増加させているのです。(訳註: アステロイド帯が真空管のグリッドと同じ作用で、太陽から離れた惑星へも放射エネルギーを増大させているという原理は、アダムスキーもまったく同じ喩(たと)えで説明している) 火星と木星の間にあるアステロイド帯も同じように、木星や土星、天王星、そして海王星に太陽の放射エネルギーを増加させて伝えています。

アメリカとロシアの宇宙計画が隆盛した結果、地球から近隣の惑星に探査機が送られてきました。そのとき初めて、他の惑星の大気圏内に突入して地表近くの映像が撮影されました。しかしこの驚くべき発見が公表されることはないでしょう。これまでにも多くの探査機によって地球に送られたデータのほとんどは、決して公表されることがありませんでした。つまり、「他の惑星に人間が生存するのは不可能である」とするために、注意深く選ばれた証拠だけが公表され、人々はそれを信じて受け入れているのです。結局、宇宙探査機は嘘をつけませんが、それをコントロールする人々は何とでもできるのです。

(訳註: 実際に、NASAや旧ソ連の宇宙探査報告には多くの矛盾が指摘されている。火星の青い空と陸地の鮮明な写真が出てしまい、それは間違いだったとして赤いフィルターをかけた画像に差し替えたり、金星は非常な高気圧で硫酸の雨が降っていると説明しているのに、金星表面に探査機をパラシュートで数回軟着陸させたりしている。このように数多くの矛盾が存在している。)

遥かな昔から、宇宙の旅行者たちは物理的な宇宙を探索してきました。そしてどの惑星においても、そこにはもっとも正確な秩序と規則性が存在することを発見してきました。それは原子だけでなく、惑星や太陽系に至るまで、すべては自然の法則に従っているのです。それは銀河が生成される以前からすでに存在していたものです。つまりそこには宇宙の計画と法則が存在するということなのです。しかし、地球の人々はそれらについてほとんど知りません。物理的な宇宙の仕組みは、その秘密を発見した者たちにとっては深い意味を持っています。

宇宙は心に浮かんだひとつのアイディアによってデザインされました。それは多くの生命の形態を維持することです。地球の科学者たちも気付き始めているように、生命というものは偶然に生まれたものではありません。それは多くの自然の法則に支えられ、それを支える太陽系の法則までが必然で活動しています。物理的な宇宙における生命の進化のどの段階においても、そこには秩序と規則性という自然の周期があり、私たちはそれを認めるとき、そこから学ぶことができるのです。

生命の源ともいうべき宇宙の至高の存在は、そのゆえに生命を見捨てることはありません。人間とは、物理的な宇宙においてもっとも高次の生命形態の一つです。物理や化学の法則が地球上のどこにでも見出せるのと同じように、同じような鉱物や植物、そして動物や昆虫などが他の宇宙にも偏在しているのです。そして実際に、地球にある多くの植物や動物たちが地球を起源とするものではなく、それらどれほど多くのものが地球への植民の際に持ち込まれたものであるかの事実を知れば、あなた方は驚くことでしょう。どの惑星も、多くのレベルの生き物が生息できるように造られているのです。

ですから私たちは宇宙を旅していく中で、ほとんどの惑星が人間が住める環境であることを発見しても、少しも驚くことはなかったのです。人類は地球で発祥したものではなく、宇宙で創造されて地球に植民したものなのです。人間という種族は、宇宙存在としてデザインされたものなので、多くの惑星の環境に適応できるように創られています。もしかつて探検隊が北極圏に暮らしているイヌイット族を発見していなかったならば、あのような極度の極寒の状態に人間は適応できないという見解が、今日の常識となっていたかもしれません。

人間の肉体は、時間をかけることで正反対の極端な環境にも適応することが可能で、実際にそうしているのです。遅かれ早かれ、私がここで述べている真実は、現実のこととして確認されることでしょう。宇宙に偏在している一つの生命形態としての人間は、他の多くの惑星で進化を遂げており、その中には地球人の理解の範疇(はんちゅう)を超えるような精神的、知性的、肉体的なレベルに達している種族もあります。

私たち金星だけでなく、その友人である近隣の惑星の人々はとても慈悲深い人々です。私たちもまた、地球と非常によく似た歴史を経て今日に至っており、かつて金星でも同じように度重なる戦争や権力闘争、人々への抑圧や残虐な行為が繰り広げられてきました。私たちは地球がいつまでもそのような状況から脱却することができず、なかなか成長できないことを心配しています。

つまり地球では、限りなく同じ過ちが何度も何度も繰り返される中にあるのです。それは驚くほどの長きに渡っており、地球人はまるで袋小路に迷い込んだようになっており、戦争の経験を経て進歩していく代わりに、状況は改善されるどころかますます悪化してきています。地球という惑星全体に、黒い雲が垂れ込めているのです。

私たちの科学者は、地球の大気圏の上層にある巨大な母船で働いています。そこにはさまざまな仕事を持つ者たちが生活しています。私たちは苦しみの渦中にある地球の人々を無視することができず、ここまで来ています。私たちの中には自分自身の成長のために必要な体験を求めて、この地球で暮らしている者たちがおり、私自身もその一人です。地球は、私たちの太陽系のネガティヴな惑星として、自分の成長のためにネガティヴな経験を必要とする多くの人々を引き付けています。

多くの教えにおいてこのような必要性のことを、カルマあるいは義務、因果応報と呼び、それは輪廻転生、つまり生まれ変わりの概念に相当します。生まれ変わりの概念は、私たちの太陽系のすべての惑星においては人生の事実として理解され、受け入れられています。それは非常に具体的で現実的なものであり、高度な文明社会に生きる者であれば誰もが理解しているものです。そのためには死というものの理解が欠かせず、私たちは科学的な意味において、あなた方が死と呼んでいるものを超越しています。それは長い時間をかけた精神的、技術的な進化の賜物でもあります。

今日、地上で生きているすべての人々は、現世だけでなく、これまでにも多くの人生を送った過去世という経験を持っています。しかし地球に生きる人々はそのことをほとんど知らず、特に西洋社会の人々と、その影響を色濃く受けている人々は概してそのことを知りません。生まれ変わりということを念頭に置くと、地球というネガティヴな惑星に自分が今いることはそれほど悲劇的なことではないとわかります。私たちはさまざまな経験を必要とするものであり、その中でネガティブな経験というものは、地球や他の惑星で人生を送りながら成長するためのプロセスの、ほんの一部でしかないのです。

私たちそれぞれの人格というものは、永遠に個人的なものであり続けるでしょう。そのことは地球だけではなく、たとえどの宇宙、どの時空世界にも経験として転生する必要がなくなったとしても、私たちの人格は個人的であり続けるのでしょう。カルマというものは、目に見えない宇宙の法則であり、望む望まないとにかかわらず、また信じていようがいまいが、私たちは従わざるを得ないものなのです。そしてまさに私たちの人生はその中に展開されているのです。

それは原因と結果、因果応報の法則としても知られています。私たちの行為のすべて、考えること、また感じることのすべては、実は自分に向けられたことなのです。その意味は、自分が他人に向けて為したと思う行為のすべては、自分が受け取ることになるということです。自分の行為の結果はただちに戻ってくるとは限らず、それは何年も先になって、あるいは次の転生後に受け取ることもあります。

私たちは誰も自分の行為から逃れることができず、カルマの法則は、すべてが清算され尽くすまで人生のあらゆる状況を支配し続けます。それは未来のすべてが決められているということではありません。なぜならこうして生きて活動している間にも、一瞬ごとに新しいカルマが作り出され、同時に古いものが収穫されているからです。それはとても合理的で緻密で抜け目のない法則であり、いかなる人であれ、自分の作り出した「幸せや災難」から逃れることはできないのです。

私が地球にやって来た理由の一つは、私のいくつかのカルマの帳尻を合わせるためでした。私は慈悲について学ぶ必要があり、さらに地球において、前世でやり残していたことの仕上げをしなければならなかったのです。私の金星での生活は至福そのものであったので、そのままそこに居るという選択もできました。しかし自分が金星で生涯を過ごすことは、避けられない自分の課題を先延ばしにするだけであることに気づいたのです。

つまりいつかは、地球に転生することは避けられないことであったのです。今振り返ってみても、地球に転生して後、私が経験した多くの苦しみと試練を勘定に入れても、私は自分の残りの人生を地球で過ごす決意をしたことを嬉しく感じています。

私たちはカルマのバランスをとるために、他の惑星の住民が地球に来ることは珍しいことではありません。自分の抱えるカルマを今暮らす人々との関係で解消したり、人生において関わり合う人々とともにカルマを清算する場合もあるでしょう。このように、すべてにおいて私たちの人生は必然によって導かれているのです。そして戦争や貧困といったネガティブな経験から学ぶ必要がある場合は、私たちの太陽系でそのような経験が出来る場所は、地球以外にはどこにもないのです。


📕「私はアセンションした惑星から来た」金星人オムネク・オネクのメッセージ   オムネク・オネク著 徳間書店  抜粋

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