②からの続き







この100インチの望遠鏡を覗けるなんて、特別なことでした。

そして宇宙飛行士のミーティングで話を聞かせてもらったり、彼らは日常の勤務に参加させてくれたのです。

そこでやり取りされている質問の中に、宇宙には何もないといった内容があったので私はビックリしました。

私は何となくその時点で知っていた。宇宙には惑星があり、そこに誰かが住んでいることを知っていたんです。疑問の余地もなく。

それで私は二度、その話題を取り上げました。もちろん、却下されました。そこにいた人達は天文学を8年研究してきており、どういう状況かを知っているからです。でも、彼らは知らなかった。

そんなちょっとした事がまた海軍諜報部に伝わり、私の父と私はサンペドロに拘束されました。私が海軍に入り、プログラム導入のための一連の手続きを行うためです。その内容は知らされていませんでした。


入隊直後は新兵訓練所ではなく、カリフォルニアのロスアンゼルスエリア、ダウニーにあるヴァルティー航空社に送られました。現在の北アメリカスペースシステムです。




ノースアメリカンでの仕事とは、ET通信システムの変換、使用化、複製の作業でした。

その後ロッキードに移り、そこで風洞に関わりました。


その後、風洞から引き抜かれて別の研究に移されました。

ロッキードは確かに良い企業だけど、サンタモニカのダグラスには何かがあるなと感じていました。


そしてダグラスに移り、製図者として契約しました。

そこで船の模型のある部屋に入りました。あっという間にダグラス社は私の船模型を使って至る所でダグラス航空機会社の広告を出しました。


その後ダグラス社の副社長が私をつかまえ、巨大な帆船の設計を言い渡されました。彼がサンペドロで契約したダグラスSr 帆船のコピー版です。

それで私はサンペドロに行き、計測をして設計図を作成しました。やり方は心得ていたので、短期間で実物も造りました。そしてそれは彼にクリスマスプレゼントとして贈られたのです。

というわけで、私はダグラス社の副社長と親しくなりました。

それでダグラス社で製図者として働いて二週間した頃、課長が私の経歴を確認し始めました。

当然、海軍での履歴もすべて載っています。そこで私はシンクタンクに入れられました。初めに行くシンクタンクというのがあり、これはダグラスのある場所の、壁で囲まれたエリアの中にありました。


中で200人が働いていました。私の任務の一つは12年前からの仕事で、ダグラスに持ってきたものです。私が海軍にいた頃、ダグラスまで飛行機で行ってダグラスの工学部に渡していた仕事でした。

このファイルにあります- これを見てわかりました- この中に、私が海軍にいた頃の仕事の書類があります。私が飛行機で行って彼らに手渡したとあります。



これが後に、初のシンクタンクになりました。後のTRW社と同様、我々は地球外生命体のすべてを調査するのです- 軍事面、商業面、何であれすべて。


そして私はアメリカ海軍の16~18階級にわたる戦闘艦隊の船の設計を命じられました。当時はその艦隊はまだ存在していませんでした。




大きい規模になると1~6kmサイズになりました。

これらの船は宇宙を飛びます。


宇宙船のための空母です。私はアメリカ海軍宇宙船空母を設計し、それは1970年代後半にユタ州の地下でようやく造られました。


アメリカ海軍の宇宙船、 ソーラー・ウォーデンの写真は見たことがあるでしょう。ソーラー・ウォーデンはダグラスの工学部にあるシンクタンクが作ったのです。

さらにたくさん、あらゆる物が作り出されました。



翻訳:Rieko
http://ja.spherebeingalliance.com/blog/transcript-cosmic-disclosure-william-tompkins-bio.html



※行間を詰めさせて頂きました。 管理人

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