こんばんは。
心屋認定カウンセラーのよしこです。


ぐりちゃんの「不自由さ」のこの記事に共感する。

不自由だからこそ、自分の行動力になる。
 


田舎で同居暮らしで子育て中というのは、

 

やっぱり、不自由な面が多い。





自分が行きたい場所に行って

 

やりたいことやるのには、

 

子供達やばあさんの預け先を確保して

 

長距離を移動する段取りをしなくちゃならない。

 

 

「思いついたら気軽にヒョイ!」とは行けない。やれない。

 

 

 

だから、わたしにとっては、

 

誰にも気兼ねなく

 

行きたい場所にヒョイ!って行けるような

 

自由度が高い人が羨ましい。





でも、

 

その「不自由さ」があるからこそ、

 

今、こうして活動できているのかな、と思っている。





もし、私の自由度がものすごく高くて、

 

いつでも思いついた時に

 

やりたいことをやれて、

 

会いたい人に会えて、

 

行きたい場所に行けたら・・・・・

 

 

 

きっと、わたしは

 

何が本当に好きなことで

 

何が本当にやりたいことなのか、

 

わからなくなってたと思う。







子どものいない20代なんて、すごい自由だった。


何の制限もない。

(実家暮らしだったから、親はうるさいけど)


稼いだお金、使いたい放題。


時間だって好きに自由に使えていた。




若さもあるかもしれないけど


これといって、すごいやりたいことはなかったと思う。


ただ友達と集まってワーキャーするのが楽しかった。


色々と旅行したいなという思いはあったけど


なかなか自分から率先して声かけて、行動に移すことはあまりなかった。




あんなに自由だった20代。


もっと旅行とか行ったりすればよかったなと


今でも思う。





だけど正直今のほうが、行動できている。


時間はないけど、あの頃より今のほうが


やりたいことがはっきりして、


行動することができている。



ぐりちゃんのいう「不自由さ」があるからこそ


じぶんのやりたいことが、


明確になっているんじゃないかと思う。






もっと時間が欲しいといつもいつも思う。


だけど、仕事を辞めて時間が手に入ったら、


やりたいことよりも、ぐーたらする方に時間が取られるんじゃないかとも思ってしまう。


いつでもできるし思考が働いてしまいそう。





ぢんさんも言っている。





いつか

いつか

いつか


なんて言っているとなくなっちゃう。


そして、自分自身もなくなっちゃうと。





いつか行きたいなぁと思っているお店


行かない間に無くなっていることがよくある(笑)



年齢もどんどん重ねていき


寿命が短くなってくると、更に思う。


死ぬまでにやりたいこと。


これから1つずつ叶えていきたいと思う。