河川敷に生えたススキやヤエムグラを枯らし始めた晩秋は、

渡りの鳥たちを招き寄せ、何度私の身体を物理的に肉をむしり取り、

目をくりぬき、骨を露出させたことでしょう。

 

それでもよいと考えます。

なぜならば、私の生命はまっとうしたのだから。

数日前に放出した精子が命を宿すのかは、この先、知る由もないのだけれど、

少なくとも、この「家」の中で、別の命に移行できることをよしとします。

 

有限のこの世界でわずかな肉のかけらさえも無駄にされないことを有意義に思います。

 

すみません、これ以上、話している暇はないのです。そろそろ、お暇しないと。

もう少し分解の進んだ肉を小さいな虫たちが待っているのです。

 

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「久慈川のサケのはなし」

※じつはオスもメスも見分ける能力を持ち合わせていません。。。