一般的にピアノを弾く人やショパンを愛する人の多くが

共通して手にしている本は、「弟子から見たショパン」なのではないかと思う

 

この本は題名のまま

 

こう言っていたあー言っていた、という直接的に見えるものも

万人に対してではなく、その時のリアル弟子に対してのものである

 

ショパンの弟子や友人の証言と草稿を集めたもの

 

この本を読んで、

随分理解の仕方は読み手によって違うものだと思わされた日があった

 

文字化されれば、また受け取り方、とらえ方は異なり、

進行中の奏法が違えば、必然的に合わないと感じる証言が出てくるのも

おかしくはないだろう

 

さらに、前後の脈絡が無いただ一節の場合は

憶測に捕らわれず、慎重に受け取らないと、勘違いも生まれるだろう

(以前投稿した、

 ショパンは肘を固めて弾いていた、という感想記事があったように)

 

 

ショパンの時代、ピアノの構造は殆ど現代と同じになっていた

 

人の身体の仕組みは、何も変わってはいない

地球人が全て2m以上の体格に変化したわけでもないし、

筋肉は鍛えようが、遺伝子的に数が増えているわけでもない

 

ショパンは、現代にも通じる独自の奏法で

アクションをコントロールしていた、と私は妄想する

(でなければ今さらショパン奏法を深掘りする意味もない)

 

 

この本はまだ新しいゆえ、著作権に関わると考えるので

安易に内容を切り抜きした引用は避けねばならないが

 

〇〇 を使い過ぎないように、と一見具体的な表現も

その弟子が弾いているVTRがあるわけではないので

本当の奥先は、そんな一見できるものじゃないだろう

 

ショパン奏法として、それはとても重要なことで

その分、弟子に対してその点は非常に敏感だった

 

けれど、慎重に分析すると

結局、弟子発信で、それがどんな使い方だったか

感覚の詳細が明白に明かされているわけではない

 

ショパンの□□が柔らかだったと見える演奏が

その柔らかさが身体のどこからの派生であるのか

 

〇○のように見える、外側の描写

つまり子どもでも真似できてしまう”見える”動きは

ショパンの理想と必ずしも一致するとは言えない

 

また身体は全身繋がっているのだから、

その部分だけの話で、完結できるものではない

 

 

いったい何と関係するものなのかのポイントは、

自分の身体を通して、影響するポイントを自分の音で気が付くしかない

耳が先生だと唱えたのは、ショパンだ

 

レッスンを受けたとて、確実にすぐ伝授できるわけではなく

現実、ショパンに極力近づきショパンの音を霞めてしまうほど

ショパンを超えたと言われるようなショパン二世は誕生しなかったことが

すべてを意味している

(貴重な存在のフィルチが短命だったのは、非常に残念である)

 

一番弟子だったミクリは弟子入り前は医学生だったとか

ショパンの身体を分析するのには適した頭脳だったと想像する

 

その頭脳があってもとらえ方はまたそれぞれ、、、

 

 

 

ひとつ思う私の偏見

世間一般の人が抱きがちなショパンのイメージを壊すような証言は

この本には載せていないのでは、と感じる

 

ショパンを深く考えれば考えるほど、

一般イメージに反する人物像が浮き上がってくるゆえ

ショパンの優美で感傷的な世界の本質は、そうではないと思わされる

 

私は、音に拘る物理的なショパンの一面に触れ、

今こそ、時の隔たりを失くしてくれる、必要な新鮮さを感じている

 

ショパン奏法の神髄にふれるものほど、

簡単に手の届く領域で見つけ出すことはできないのが、大いなる魅力だ