リストの基本概念には

重い鍵盤で、何時間も練習するというのがあったようだ

リストの部屋にあったピアノの鍵盤のダウンが重くて

音が出ずびっくりしたという弟子の証言がある

 

コンサート会場の聴衆のご婦人方が熱狂する様子をあらわす絵や文章は

カリスマ性を表す、自信にあふれて、ファンサービスを忘れない

明確な音楽ビジョンを持ち、そのまま行動に出せる、、

という人物像を描かせる

 

「このピアニストは聴くより見るほうが...」と言われたのは、

美貌にのせて表現要素として身体を大きく使って弾く点が

聴く側人間の察知する視覚と聴覚のタイムラグの相乗効果にもなり、

音楽のディナミク効果として革新的だったからかもしれない


背が高めのリストだが、手はどうかというと

男性からすれば特別大きくもないそうで、加えて小指が短いということは意外だ。

 

弾いてる手が実際より大きく見えるのも

このリストカリスマ法の特徴かもしれない

その後の孫弟子になるラフマニノフほど手は大きくなかったけれど

骨と筋肉をつかさどる腱は、非常に丈夫だったのであろう

 

「私の真似をしてはいけない」 という言葉もここからきているのか

 

 

若い頃は、言葉での指示が多かったけれど、

晩年は言葉数が減り、弾いて聴かせ見せることのほうが多かったらしい

 

晩年の教育現場では、こちらのイメージとは別の顔をみせていたのか?と

一瞬探ったが

「背中に指、、、、」という発言は若い頃のものであるようだし

奏法としてはそれほどに深読みする意味はなかったのかもしれない。

 

 

 

リストはダブルエスケープメントアクションを

1824年のパリのコンサートで使用しているらしい

ピアノの師匠としてはチェルニー先生

この時より、急速に自分の奏法を確立していった、、と考えることもできる。

 

当時のリストの弾きぶりは、

師匠からは「支離滅裂」とあまり良い評価はなかったらしいが、

とにもかくにも楽器に携わる人々、聴衆を巻き込んでいく"時の人″だった

(ドラムを最後破壊するYOSHIKIへの期待と似たものがあるかもしれない)

 

リストがわざわざパリに戻り、

超絶技巧対決をして話題になったジギスモントターンベルグは

リストと似たジャンルだったのか

 

ショパンはこの人の演奏をウイーン滞在中(1830年)にすでに聴いていて、

その時、

「上手いとは思うけれど、好みではない」と感想をもらしていたらしい

 

それこそ、この言葉はショパン音楽が好みでない人からすれば

大きな音の出せないことからの負け惜しみ、足掻きと思われるところだろうけれど

 

ショパンは、ショパンゆえのこだわりをそこでは聴けなかったからだろう

奥義もそれぞれということになる。

 

                                  続く

 

           ♪薔薇:ラ・カンパネラ