リストに比べ、静かな天才ロードを進んでいたショパン

 

エルスナー音楽院長から選択科目の強制をされなかった彼は

オーケストレーションスキルに関しては未熟だったという評がある

 

ショパン協奏曲のピアノ譜に触れてみると

たしかにオケパートが無くても十分に成立してしまうような出来の印象、、、

 

作曲スキルの問題か否か私には分からないが、

 

オーケストラとコラボさせようとすると、

ピアノに寄せるいつもの自分の表現が、何らか存分に発揮できなくなる

ショパンにしか分からない不具合が、どうしても生じてしまった。。。

 

なんてこともあったのかしら。。。なんて想像する。

 

 

ピアノの音の発生にこだわった学生の頃のショパンが

そのことだけを考え、住まいのSasuki宮殿から

当時授業があったkazimierzowski宮殿(当時修道院)や王宮への道を

物思いにふけり、散歩していたという情景が自然に浮かぶ 

 

ショパンの身体の中には、歌を表現しているかの如く

自分の感性や言葉をそのまま音に表すことへの力の仕組み、

指先が細やかな動きをするためのオリジナルテクニックが自然と構築されていった

 

それはプレイエルの特性を生かすことのできる

唯一無二の弾き方というもの

ショパンにはそれがニュートラルであり基本だったのだろう

 

プレイエルのためのショパンかショパンのためのプレイエルか

 

 

ハンガリーのリストが悪魔なら、ポーランドのショパンは天使

と揶揄されたのも知られた言葉

 

ショパのふすきー奏法の過程は

幼少の頃から誰からも邪魔されることがなく探求され

そして盤石なものとなったが

すなわち…単純に可視化できるものではなかった

 

そのショパンの感性は、

虚弱体質とは切り離して考えたら? と私は感じている

関係があるとしたら、身体のつくりに敏感であったのではないか と

 

誰も真似ができなかった音は

それまでの時分を聴いてきた耳と身体が構築したプロセスの賜物であり

 

音が小さいやら、

ベートーヴェンを演奏するにおいては不評やら、という批判は

 

当時の比較対象が大いに背景にみえることを考慮すると

彼にしか出せなかったピアノスキルがあったゆえのものだった

と想像する

 

 

幅広の弱音コントロールで感情を細分化し表現し得たヴィルトゥオーゾ

 

ショパンを敬愛していたというシューマンは、のちに妻となるクララへ、

ショパンの音楽家としての成功を祈る思いを、手紙にしたためたであろう。

        

 

シューマンは、ショパンの音楽を「花に隠された大砲」と評した

 

            薔薇 バルカローレ

                     続く