Ⅱの続き
「ピアノは背中で弾くもの」
「私をまねてはいけない、そうすれば失敗するだろう」
は、リストの有名な名言とのこと。
同じ時代に友として生きていたショパンの耳にその言葉が届いていたのか否かは分からないが、
ショパンが聞いていたら、内心どう思ったのだろう。。。なんて想像する。
色々諸説はあるが、二人は友でありながらも、
私には、背中合わせのように感じる奏法異世界と音楽性の妙。
結局、ショパンよりはるかに長生きしたリスト。
プレイエルの特性は消え、広まった重力奏法、、、
その意味は、想像以上に重い気がする。
留学初期の一時帰国の時。
どうしてそんなことになったか、記憶が飛んでいるのだが、、、
当時、重量(重力)奏法のことを説いておられた先生と
電話でお話したことがあった。
全く面識が無かったのにも関わらず、そのご年配の先生は、
私に持論を長々と説明くださり、最終的には、是非読んで聴いてみて♪と
ご親切に奏法理論の小冊子と録音自家製CDを即送付くださった。
頑張って勉強を続けてくださいね、と言われたことも思い出す。
まだ当時は、そんなにも重力(重量)奏法という言葉が
一般的には浸透していなかったと思うので、
先進的なご活動だったのだろうと振り返る。
それが、昨今見聞きするネオな重力奏法に繋がっているのか、否か。
その後、探求が続き年号を超えて時が流れた今、
正直なところ、私がベクトルをとるに至った奏法とは
物理的にも真反対かと思われるのような認識にある。
当然ながら、リストとショパンが活躍していた時代と今も変わらず
地球上の物理の定数、身体とて寿命は延びても骨格や筋肉仕組みは、不変。
ただそれらには反し
ピアノアクションは大きく改良されていった時代だったという。
現代ピアノへの夜明けを迎えていた、黎明期。
西洋人体解剖学も起源は古いが、19世紀から急速に進化・発展していた時代、
特に彼らの没後、奏法に関して様々な論争があった。
日本に関していえば、
ピアノの教育は西洋楽器ということから当然ながら遅れていた。
ヨーロッパへ訪れた日本使節団員が、リストの生演奏を聴いたという
記録があるようで、
伊藤博文が、リストを日本へ招聘するということが模索されたこともあった
ようだけれど、叶わなかったらしい。
「背中に生えた10本の指」という言葉は、
奏法の根幹に関わるワードとして、私には非常に関心のある観点。
リスト好きで掘り下げようと思ったわけではなく、
むしろショパンとの比較から考え得るのが、今のマイブームだ。
リストとショパンとの運命的な精神の絡みは、深い。
*
ワルシャワのワジェンキ公園に咲いているChopin と命名されている薔薇。
1980年作、ハイブリットティー系統。
Liszt と呼ばれる品種は、マニアしか持ってなさそうな。
2008年作? 赤を選んだのは、冷静と情熱の対極の意味だろうか。。。