背中から指が、、、、と、リストが名言として残していたり、

ピアノは背中で弾く、背中から弾きましょう‼️というのは

レッスン動画のタイトルでもよく目にするワード。

 

第三者視線からすると、作用点は鍵盤上と指先の接点になるが

弾く側にとっては、その作用点は、ボディ・背中の意識で、という意図だろうか。

 

外から見える動きを変化させる、真似ることは容易にできるだろうが

リストが言っているのは、そういうことではないのだろう。

 

身体を動かす事のプロでない一般ピーポーが、

生まれてから年齢分の年月、赤子からの積み重ねで

四肢を動かすことを無意識の領域でやれてきた時分で、

 

急に、脳内の支点・力点の感覚を鋭くし意識を変えることは、

スーパー運動神経保持者でない限り、本来逆に容易い事ではないだろう。

(武井壮氏のおっしゃる理論がいい例である)

 

何事もイメージする、想像するということは大切だ

車の運転も、危険を回避できる想像力が豊かで理論に現実的なハンドルさばきが理想であろうように。

 

ピアノもイメージ❓。そういう知識を持つことは大切だろうが、

 

つまりは、言われてすぐ、知ってすぐできた感覚になったものというのは、

外面、上っ面の変化によるものであることが大半で、

本意に行きつかない手前の話なのだろう。

 

それが、いつしか先の次元の本意の必要性を感じることになれば、

ひとつの前進だ。

 

 

確かにハイフィンガーから重力奏法への移行のための方法なら有効かも。

しかし、それならそれで今更古い話だ。 

 

指さして、背中を触って、分かって簡単に変えられるものは、

イメージの領域。

あえて進化させて生体理論で捉えなければ、アルゲリッチ氏のように年齢をものともしない

演奏なんてできないのだろう。

 

リストの名言は、イメージ か 生体理論 か。

 

 

                           続く。