昨今は大人の趣味という名目でも触れる人が増えたピアノという楽器

 

ピアノの前身楽器からフォルテピアノ、現代のモダンピアノまで

要のアクションは長い歴史を繋げてきた。

 

以前、「楽器に支えられた2年だった」と書いたが

それは、西洋の悠久の彼方に想いを馳せ、楽器から何かを感じ取るとか

そんなファンタジーやスピリチュアルな心情とは別様。

 

芸術だから幻想でもいい、という考えもあるだろうが

想い描くだけでアクションは答えをくれない、のが現実。

 

それとは全くもって無縁の

物理的なアクションの扱いの事を指している。

 

 

プレイレルを前に、ショパンの心情をいくら想像し、

生家に自分をバーチャルしたところで

 

何かが天から降臨し、インスピレーションを受け、

現代のピアノを巧みにコントロールすることができるようになる

 

もんなら良いが、んなわけがない。。。

 

そんな容易いものではないのは、

中の複雑な作りを知るだけで判断つくだろう。冷静ならば。

 

 

 

一定以上のグランドピアノになると、

より緻密な打鍵の反応(エモーショナルに見える体の動きによる反応とは別)が返ってくる。

それよって、こちらのコントロール正誤の判断がより的確になる。

 

よって

自分が探究心を持ってやろうとしたこと、研究的、かつ理論的な打鍵の感触に、

有効か否か、間違っているのかどうかの答えをくれ、学びに直結する。

 

私にとって支えになる練習の手応えとは

そういうものだと感じている。

 

 

ただ座っただけで楽器が教えてくれる、なら、

スピリチュアル、セラピー・テラピー。。。洗脳コース。で楽だろぅな(=∀=)

 

と、心の底から思うモダンな日々である。