春の一枚




[2021年3月30日]
大ピンチ!屋久島にカフェ旅行で来たのに、コロナのせいで観光客が激減している為、どこもかしこも閉まっている…。こうした危機的サバイバルな状況の中、コテージ『森のこかげ』さんの自動販売機に巡り会えたことが救いだった。昨日3月29日のこと(#拡散希望)↓
こんなにも
休業・廃業!





















夜、しかたなく手ぶらの空腹でホテルにカエル…と、『インスタント食品の自動販売機』を発見した。

おお!神様は自販機だったのか!たすかりマスク!さっそく神様がくれたソース焼きそばとビビンバを混ぜてみます!モグモグ、モグモグ、たしかに…ソース焼きそばとビビンバの味がします…うん(夜の静けさと掛け時計の音)。ちょっぴりせつない――」

引きこもる発達障害のカエルの寅次郎。何のために屋久島まで来たのかわからない。今回の旅はカフェ巡りと土地探し。よくわからないインスタント食品だけじゃ栄養が足りない。この先ずっとこんな移住生活でよいのだろうか…。
島っ子が
死んじゃう!
こうしたコロナ禍の離島経済を休業補償や時短協力金制度で支えきれるのだろうか。そこで営まれてきた島民の暮らしや文化、延いては教育や福祉は、コロナの影響によって今後どうなってしまうのだろうか↓
屋久島の子供たちが頑張って描いたトトロのバス停留所(アート)。観光客を呼んでいるかのようだ。だが、このままコロナ禍が続けば島っ子たちは島を出るしかなくなるのかもしれない…。まだ量販店の近くの地域は潤っているが、もっと深い山奥の集落に暮らす子供たちの生活は学校への通学も含め毎日がとても大変だ。こちらへと、古びたフェリーのデッキから一人の島っ子が手をふっている。屋久島の子供たちは進学する為に本土へと渡ってゆく。それはやがて大人になれば帰って来ないのかもしれない、遙かなる愛となる…。もうじきボクも屋久島の住民になるのかもしれない。だけれども、なかなか『共感』は湧かなかった。そういった離島の親子の気持ちというものを、そこで生まれ育ったわけでもない発達障害の鈍い頭では、今はまだボンヤリとしか理解することができないようだった。「いつか理解できる日が来るのだろう」そう心に信じて、ボクは手をふった。
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またね!
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早朝、お世話になった命のコテージ『森のこかげ』さんを無事チェックアウトし、次なる宿泊地である麦生(MUGIO)のコテージ『森のフェアリー』さんへと、曇天の下、今にも泣き出しそうな雨空に怯えながら歩き出した。船行(FUNAYUKI)という集落から屋久島の出入り口である安房(ANBOU)という港町を経由し、麦生(MUGIO)という集落へと、重い自転車のスーツケースをガチャガチャ騒がしく牽引しながら徒歩で約6時間、頑張って撮り歩いた。ヒッチハイクしたわけでもなく途中何度か助っ人が現れた。だが、ボクは自分の足で撮り歩きたかったので手をふった。

TATAzumi.
[次回は自転車サバイバル飯]
つづく~♪