今年は、統合失調症と診断されてから10年目となります。

 

昔のことは、おぞましすぎて思い出したくないものです。

 

統合失調症の陽性症状がひどくて本当にあちこちで迷惑をかけていたと思います。よく思い出せませんが。

ただ、最初に通院した病院には本当にお世話になったと思っています。

兄が統合失調症の薬で悪性症候群になり、入院中に肺炎にかかり亡くなりましたが、そのため、服薬治療なんて恐ろしくて治療ができなかったということがあります。

陽性症状の私を受け止めてくれて、そのときの主治医には感謝しています。

 

ただ途中で服薬を勝手にやめてしまいまた再発したことがありました。

当時の主治医にフリースクールのことについての手紙を書いたら、その次くらいか薬が増えました。

私はそれでもう、薬を増量するのも怖いし、主治医も信じられなくなりやめてしまったのでした。

親は当時のことを振り返って再発したから薬を増やしてほしいといったらしいですが、それもおぞましいことです。

兄は薬で死んだので、薬がどれだけ身体に影響を与えるのか理解してほしいし、実際親は発病に至った理由を受け止めてはくれず、とにかくおかしいなら薬を飲めでいやでした。

父親の身体を気遣っていたら父親にお尻に服ごしでペニスをあてられたり、フリースクールは不純異性交遊する良くない場所だったこととか、話しても無視されて、心はいつも壊れていました。

いつもわたしがおかしいと、そんな風にいわれてきました。

父親は、それ以前も娘にいとこのほうがかわいいとあっさりいう人だし、運動神経悪い私を冷たいまなざしで見る人でした。

主治医だけは、父のことでわたしをかばっていてくれたと思います。

 

きちんと意思疎通できなかったり、思い通りにならなかったり、することはありましたが、

それでも前の主治医には感謝しています。

でも、父親は本当にあっさりと

「病院は全然機能してない」

と言い捨てる人でした。

入院できる病院をほかで見つけられなかったという事実は全部なかったかのように人を見下す人でした。

私自身のことも教育費を払っているのに機能しないと思っていたんでしょうね。

 

そしてまた、主治医や病院関係者だけではなく、

名前さえ知らない(も忘れた)人たちにも、いろんな意味で支えられてきたのだと思う。

たとえどんな理由で病気になったのだとしても、ひとり誰とも関わらずに生きてきたのではなかったことを。

自分も辛く我慢したこともあったけど、周りに我慢をさせたことも

忘れないで、感謝して生きていこう。

 

何かの縁でしょうか。

16歳から10年ごとに事件がありました。

16歳はフリースクールへ入所、

26歳は統合失調症として医療保護入院

36歳は、なんだろう、新しい出会いがあったことでしょうか。

10年ごとに何かあるとしたら、そのサイクルで体調が崩れる可能性があることも覚えていようと思います。