中学の理科の先生が、

「あなたにはいつか、白馬の王子様が迎えに来てくれるよ。」

と言った。お兄ちゃんが他界し、給食が食べれずお昼休みまでかけて食べてそれでも残して片付けをしている時のことだった。

中学の時に忘れられない不思議な励ましの言葉だった。


うつ状態の上に抗うつ剤大量服用で身体に副作用が出て昼夜逆転し高校を中退したわたしは、それでも挽回したくて、フリースクールに行った。


規則正しい生活習慣が身についたけど、高校生のときにほとんど勉強をさせてもらえず、プールに行かされたり、家事ばかりの日々だった。おまけに卒業できない偏差値高めの通信制大学にいれられた。人間関係も悪く、社会復帰するために大学卒業まではと思っていたけど、私の学力では足りず到底難しかった。

そしてその間に統合失調症を発病していた。


フリースクールから家に戻ろうとなんども思った。

でも、家での生活で大学卒業できるかわからないし、だけどフリースクールでもほぼ大学の勉強は自力で、贔屓されている子は卒論まで書いてもらっていたが、私は自分で勉強していた。なので家に帰ってもおなじだったかもしれない。だけど、その頃には父には身体に触られたこともあって家族と一緒にくらすのが怖いのもあった。


実家に帰ってきたある年の11月、迷いに迷って自転車で神社まで行きおみくじをひいた。

私はこの頃自転車とお友達で、つらい時、休日、自転車で色んなところへ行き自分を慰めていた。

おみくじには「今は転居するべきではない。」と書かれていて私はフリースクールに戻ることにした。

その一ヶ月後、フリースクールの先生の悪事を知り、迷わず退所した。悪事を知ったあとだったので、フリースクールからその後一切連絡を受けず、完全に関係を断つことができた。本当にいいタイミングだった。

それが、1つ目の転機で不思議なお告げをもらった出来事だった。


そして2つ目の転機。

家に帰ってから大学の勉強をしながら、派遣で働いていたが、情緒不安定になっていて統合失調症の症状も出ていて戦争の文献を読むと恐怖の恐ろしい戦時中の世界に引き込まれうなされた。とても本も読めず退学することにした。

そしてアルバイトを転々としたが、統合失調症の治療をしてないままでうまくいかなかった。

精神科通院を始めたが、主治医との信頼関係を結びきれず、また統合失調症という病名を受け入れることができず、断薬、順調にいきはじめたアルバイト先で統合失調症の症状が出てやがて失業した。

アルバイトや派遣を転々としたが、統合失調症の症状は酷く、辛くなりやっとの思いで主治医に打ち明けて服薬治療を再開した。

私は失業中は不安で仕方なく、焦って派遣の仕事を応募したが、同級生がいて、仕事のことでは親切にしてもらえたが、私と知り合いだということを無視されている感じで、私自身統合失調症の症状が酷いときに他の友達を無視したことがあったので苦しくなり仕事を辞めてしまった。

それから朝が辛くて早く起きれなくなりもう仕事が無理だと思った。

でもなんとか社会復帰したかったので、主治医に言い、デイケアの見学をはじめた。

見学は7日間。通院している病院は自宅から遠かったので午後のカリキュラムからの参加を勧められた。それじゃ物足りなかったが、遠いので仕方ないと思った。近くの病院に転院したほうがいいかも悩み、地元のデイケアを行っている病院を調べたり、以前から気になっていた就労移行支援を調べたりした。転院は主治医との関係もあるし、地元だと知り合いに合わないかとかも心配でなかなか決断できなかった。就労移行支援事業所が気になった。グループワークがデイケアみたいに心の癒やしになりそうな感じで元気が出そうな気がした。デイケアのかわりにこちらもいいかなぁと思ったが、睡眠時間を長くとらなければならない状態で2年という期間で就職準備できるのか不安だった。

デイケアでは、就労継続支援A型やB型の見学もできるらしく興味があった。まだ朝起きて活動ができない状態だったので、デイケアで2ヶ月過ごして心身ともに癒やしてそしてからA型を探そうか、もし無理ならB型にしようかと思っていた。

そして、デイケアの本契約の日が来た。

いつも通り出発した。

途中で携帯電話が気になり鞄から出した。

「あれ、画面が真っ暗?」

電源切れてしまったのかなと思ってonボタンを押した。

つかない。

モバイルバッテリーをさすが、充電されない。

私は動揺し、急遽携帯ショップへ急いだ。

携帯ショップで充電器にさしてもらったがまったく携帯が起動しなく、

「本当に電源が入りませんね。壊れてますね。」と言われた。

私はその場で買い替えをすることに決め、携帯ショップで電話をかりてデイケア担当に電話した。

「携帯電話が壊れてしまって今日は行けません。」

私は携帯電話が壊れて契約の日を逃した。

病院までは遠くて不便を感じていたこともあり、携帯電話を壊れたことで心が折れて地元の就労移行支援事業所に行こうと考えを変えてしまった。

ここなら、家から15分位でトラブルが起きても対応しやすい。

そして、就労移行支援の契約をした。


就労移行支援では資格勉強を頑張り、グループワークを楽しんだ。

最初に早めに就職したいとかアンケートに書いてあったせいか、数ヶ月で障害者雇用の企業の面接を勧められ研修の日取りが決まり、そして就職も決まった。

朝起きれないのも10時から8時、8時から6時といつの間にか少しずつ早く起きれるようになり、就職して3年が過ぎたら今は、フルタイムで働いている。

携帯電話が壊れたことは、私の人生に訪れた2度目の不思議な転機だった。


冒頭の中学の理科の先生の励ましは、30過ぎたわたしにはただの慰めだったんだと知ったけど、そう評価してもらえたことは、私の生きてきた証だった。