小説を書きたいとおもうのだけれど、通信制の大学も忙しくて時間がとれない。

小説を読み返してみたけど、本当になんか拙くて、もっと時間をかけて丁寧に推敲しなくてはと思った。

 

 冬の始まりに、平日休みを利用して人気のレストランへ行こうと思ったけど、やめた。

友達もいないわたしは1人ではいくのにたじろいで、そして母と行くことにした。

どうせ行くならまだ行ったことのないお店に行きたくて、そちらにいった。

 

 

 何気ないただ席をほぼ埋めるお客さんのお昼ごろのなごやかな談笑の中で、黙々と初めて食べるパスタをぺろりと食べた。母もとくに何を言うでもなく、パスタのカニと格闘しながら食べていた。

 

 最初行きたいと思っていた人気のレストランは、実は不穏な思いをした場所だった。

統合失調症の薬を断薬してしまい陽性症状が出ていた時に、一か月ほど働いていた。

被害妄想が酷く人間関係もうまく取り繕えない状態だったが、それにしたっていじめられてたのかもしれなかった。ケーキを盛り付ければ盛り付け方が綺麗でないと再三指導され、掃除して椅子とテーブルをセットしては位置がおかしいとか直された。難しい仕事だなぁと思っていたけど、辞めた後にレストランへ行ったら、ケーキの盛り付けは汚く、接客だって店長しかしてくれない。おまけに店長はカウンターでわたしの名前を連呼して調理師と話していた。客席まで聞こえてきた。

懲りずに半年ぐらいあとに母と来店すると、今度は露骨に店長に睨まれた。そしてまた接客してくれるのは店長だけ。

なんかいじめられてたかもしれない。私が、採用面接の時に前勤めてたレストランを汚いから辞めたと言ったのが気に食わなかったのかもしれない。だったら採用するなよと思った。

 

 働いていた時、陽性症状も出ていてぼんやりとしている時に、お客で見知った顔を見た。以前所属していたフリースクールの先生にそっくりだった。なのに本人かわからない。傍にいるのは知らない女性だし、なんといってもあの偉そうに自信満々に振る舞ってた先生だったのに、その人は席で俯き恥ずかしそうに顔を赤らめていた。本人なのかそうでないのか私の混乱する頭は理解できなかった。だが、先生だったとしても自信に満ちた表情で、名前を呼ばれ引き止められるのはごめんだったので、話しかけられなくて良かったと。

一か月しか勤めなかった中でその人は3度以上は来店していた。

私は時々自分の失顔症を疑うのだが、もし先生だったとして、わたしに声をかけないのはわたしに対する愛情に感じた。

陽性症状でぼんやりとまどろむように滲む世界で、複数の未成年女子に手を出した、という先生は、それを知りそれに傷ついたわたしに、かける声さえ失った。

アルバイト先で店長や他の従業に嫌われ注意されそして失職に向かっていくそんな日々で、

情緒豊かに整えられお客を魅了するレストランのおしゃれな佇まいと舌鼓を打つ心躍る数々の料理は、

何かを理解できず、何かを失っていく私に、

掴み損ねた世界の軌道に向かうための行燈をそっと灯してくれたように思う。

鮮やかで綺麗な幻想に満ちた日々だった。