宮城と山形の県境には長い縦走路が刻まれていて、蔵王連峰の南端の不忘山から二口山塊の北端に近い南面白山まで約40キロ。これは稜線だけの距離で、さらに登下降の距離が足される。
ヤマレコでは26時間の行動時間となり、普通に歩けば単純計算で3泊4日。これを1日で通り抜けようと計画した。
行きは🐱嫁様の力を借りて登山口までクルマで送ってもらうが、帰りは仙山線面白山高原駅から電車で移動。奥羽山脈の只中にあっても鉄道が使えるのが美味しいところ。終電は21:00。昔は22時台もあったようだが。終電過ぎると、無人の駅舎で始発まで寝ることになる。
登山は、峠などエスケープができる場所を起点に、セクションを4つに分けて計画した。

全体計画
山地図のコースタイムに比して、0.8、0.6と併記している。
このほかに山行計画書を作成して、家族用、登山ポスト用、携行用を準備した。

と、計画上は勇ましいものの、タイトルにあるように結果は失敗。行程としては第2セクションまで。笹谷峠から山形側へ撤退することとなった。



2023.7.2(日)蔵王・二口ONE DAY敗退記その①


起床は01:30、出発は02:30、白石スキー場04:00発の予定だったが、どうしても起きられない。。先々週、先週の連戦の影響なのか(笑)
それでも頑張って1時間遅れで登山口へ向かう。日の出と共に歩き始めるはずだったけど、もうすっかり明るくなっていた。
どうやら先行者はクルマ2台のようだ。


05:08 白石スキー場ゲレンデ
先行していった単独ハイカーを追うように進む。正面左の山塊は青麻山。眠たい身体も、動くうちに馴染んでくる。

05:10 白石女子高小屋跡
ゲレンデの踏み跡を辿って、やがて水平に横移動すると広場があり、そこから山へ入る。
この間にお一人を追い越した。

05:20 遅いツツジがまだ残っている。
朝イチのコースはクモの巣が多く厄介なものだが、先行者がいると先に払ってくれて、楽だ(笑)

05:27 弘法清水
ゲレンデと平行した急登をこなすとアザレア平に入り、しばらくは緩い登りに。弘法清水は小沢のことなのか。澱み気味で期待できない感じ。


05:34
不忘山の山頂方面が見えた。
ここに来るまでにもうひとりの先行者を追い越した。

昨夜の雨が上がったのは良いものの、登山道は割と濡れている。

05:37 アザレア平からやがて山頂への急登になる。
雪のない不忘山に来たのはいつ以来か分からないくらいだが、夏の登山道は踏み圧と雨により深くえぐれて歩き辛かった記憶があった。

05:47
近年の登山道保護の成果。掘れてしまった箇所を石で埋め、土が崩れないよう木杭で階段を作っている。大変な労力だ。

06:08 カラマツソウ


06:14 おおばせんきゅう?

06:14 ヨウラクツツジ

06:20 これはハクサンチドリ!

06:21 マルバシモツケ

06:25 ハマナス??
グーグルレンズではハマナスと出たが、、

06:26 ミネウスユキソウ?
撮影ばかりで進まないが、たくさんのお花に力をもらいながら森林限界へ出た。

06:26 不忘の碑 硯石コースとの分岐。
1945.3.10未明、アメリカ空軍のB29三機が相次いで墜落したのを祈念して造られた慰霊碑。二機は不忘山の山腹、もう一機は芝草平方面。当時は吹雪だそうで、乗員34名が全滅した。硯石からのコースではいまだ金属片を見つけることができるそうだ。任務は東京大空襲(3.10の当日だった)の偵察や囮機が迷い込んだとか、日本海側都市への偵察だったとか諸説あるが、いまだ確定していない謎らしい。

06:27 カエル岩
不忘の碑と同じ広場にある。横を向いたカエルに見えるか見えないかはあなた次第。

06:28 再び、ウスユキソウ

06:37 不忘山山頂
不忘の碑から一投足で到着。

06:37 遮るもののない展望台。

06:37 山をズーム。
西の白い連嶺は飯豊連峰?

06:38 雪のないこちらは吾妻連峰か?

06:38 これから歩く南屏風岳~屏風山までの僚船。
ガスが晴れてきた。

06:38
今日は暑くなるらしい。

06:41 水分(みくまり)神社奥宮
山頂から縦走路へ一段進んだところに鎮座する。旅の無事を願い、お詣り。
ここまでで所要時間1時間半。実にCT3時間の
0.5で登ることができた。



出発は1時間押したけど、これによりCT0.8のタイムスケジュールに乗せた。
この勢いなら完徹できるのでは🍀
いけいけ物申す





つづく