羽生選手が生まれて24年、スケートを始めてから20年間、お母様はずっと羽生選手を支え続けてきました。スケートを離れたときの、母親と息子の日常の風景や、飾らないお母様への想いを伺いました。
少年時代の母と子の風景
子供の頃、母親や家族から「スケートばかりで、他がおろそかになってはいけない」ということを言われて育ってきた気がします。
例えば、人としての常識や人に対する感情や想いを大切にするように言われてきました。常識といっても、それぞれの家庭によって違うと思いますが、僕が家族に教わったことは今の自分自身を形成する一部になっているなと思います。
「反抗期」も特に自分ではなかったと思います。だけどこの間、昔の映像を見返して気づいたのですが、中学3年から高2の頃の僕の母親に対する態度が素っ気ないなと、映像を見て客観的に思いました(笑)。
でもそれはきっと、学生時代に誰でも通る流れのようなものに乗っているだけなので、僕の気持ちとしては母親との距離感は昔から変わっていないです。
大人になった今でも、ずっと母には言いたいこと言ってしまっているので、そういう意味では、ずっと反抗期と言えば反抗期かもしれませんね(笑)。今でもずっと変わらない所なのですが、自分が納得しないとモヤモヤしてしまうので、自分が腑に落ちるまで母に話し続けたりしています。ずっと同じテーマについて、長い間話していることもあるので、母は面倒くさいこともあるんじゃないかなと思います。でも、家族だから、率直に言いたいことを言えるし、言葉に出さなくても通じ合える思いもありますし、それは親子ならではのありがたいところだなと思います。
母は、僕の考えを尊重してくれて、進む道をちゃんと未来まで見越した上で守ってくれています。例えば、「僕自身が、スケートを好きで始めた。」という気持ちを絶対に消さないでいてくれます。
僕の最終的な目標がオリンピックの連覇になったときには、そこに向かうまでの過程を一点に絞って支え続けてくれました。平昌2018冬季オリンピック前に大きなケガをしたときも、ずっと母が側にいて、安心できる場所を作ってくれました。
僕は母親の自分を犠牲にしてでも、息子を守りたいという愛情をひしひしと感じながら生きています。
平昌2018冬季オリンピックで最初に金メダルを掛けたのは、母です。いつから始めたかわからないのですが、金メダルを最初に母親にかけるという儀式的なものはずっと続けていて、たぶんソチ2014冬季オリンピックのときもかけていたと思います。
金メダルをかけたときには、「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えると共に、「おめでとう」という気持ちも伝えました。それは、僕が言うのも変かもしれませんが、「母も僕と一緒に戦っている」そういう思いがあるから、母に「おめでとう」という気持ちを伝えました。
母親に対する気持ちをひとことにすると「感謝」です。母が存在して自分のことを想ってくれることをちゃんと感じて、感謝の気持ちを当然ながらに持っていようと自分の中では強く思っています。