ファンの存在 | 祥子のブログ

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羽生結弦選手&フィギュアスケートについて独り言のように語っていましたが

ひとまず終了します

ありがとうございました

記者会見の一問一答で一番嬉しかった言葉(´;ω;`)

感謝、復興、令和…全て語った羽生結弦と一問一答


――ファンの存在は。
つらいことも、うれしいことも、もしかしたら自分よりつらくなったり、自分よりも喜んでくれる存在じゃないかなという風に思っています。
やはり、直近この2シーズンで2回も大きなケガをして、その時に自分よりもつらいような方もいらっしゃったりとか。その中で、苦しい状況の中で、凄く前に向かってというか、上に向かって立ち向かっている方。そういうメッセージや手紙をたくさん頂いた。そういう方々の思いが自分に還元されて、最終的に自分の演技になっているんじゃないかなという風に強く思う。一言で言うと、自分のスケートの源みたいな感じがしています。
これまで平昌五輪前、の前のシーズンくらいまでは、勝たなきゃいけない、強くならなきゃいけないとか、いろいろ考えたときに、凄く自分主体だった。でもそういう時でも応援してくださる方の力は感じていたけど、平昌五輪が終わって改めて、こういうモニュメントの場を設けてもらって、改めて皆さんの力、思いの力が凄く自分のスケートに役に立っているというか、凄く直接的に皆さんの思いが伝わっているんだなと改めて感じているので。そういう方々に逆に僕から感謝したいですし、スケートではない機会なので、しっかりと、発表式の時も皆さん一人一人の顔を見て、ありがとうって風に思っていましたし、たくさんね、テレビやインターネットで見てくださる方もいると思うので、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございます」

記者会見全文。記念に残すよ。

羽生選手 記者会見一問一答全文 「復興が進んでいったら」

――仙台に戻ってきて。

◆実は昨日、帰ってきて、あんまりまだ「仙台だな」という実感がなかったんですけど、こうやって地元局の方とか、地元紙の方とかに会うと、
「あー、なんか帰ってきたな」って。
すごく地元だな、っていう温かい気持ちになりました。

――モニュメントを見ての率直な感想は?

◆自分が2連覇したということで、自分にとって、すごく誇らしいことだなと思いましたし、それが残ることに関しても、自分の演技っていうのはあの場所でしかなかったかもしれないですが、
それがちゃんと何か形としてずっと残るっていうのは、自分がやってきて良かったなというか、うん。
オリンピックの金メダルっていうのはやっぱり特別なものなんだなって改めて感じました。

――観光客も増えるのではないか。

◆そうですね。ちょっと違う話になっちゃうかもしれないんですけど、先日、ノートルダム大聖堂が燃えてしまって、その募金の話とか、たくさんのお金が集まっていて、すぐに再建、修理への気持ちというか、機運というか、そういうものが動いてるというのと、あとは、台湾も先日地震があって被害があったみたいで、いろんな地域でもそうなんですけど。
一人一人のすごい小さな力かもしれないですけど、人間っていう一人一人の力が集まってやっと復興とか、新しくなっていくことにつながっていくと思うので。
その一人ずつがつながるきっかけになるのであれば、自分という媒体を通してつながってくださるのはとてもうれしいことですし、またこの仙台だからこそ、仙台にこのモニュメントがあるからこそできることじゃないかなと思うので、自分が仙台市民で良かったなと思うのと同時に、これがまたきっかけになって、どんどん復興、もちろん仙台だけじゃなくて、宮城県、東北、東日本、大きな目で復興が進んでいったらいいなと思っています。

――平成で伝説をつくった。令和ではどういう伝説を?

◆えー、やはり4回転半に挑戦したいなという気持ちはすごく強いです。
実際に、まだ跳んだわけじゃないので、そんな強いことは言えないかもしれないですけれども、ただ、これから戦っていくに向けてやはり自分の武器となる何かをさらに付け加えなくてはいけないなという義務感がすごくあるので、何か武器を改めてつくって、これから令和に向けて頑張っていきたいなと思います。

――今日のイベントの定員600人に応募2万113件。高倍率となった。

◆自分が入った時に歓声だとか、拍手の大きさとかでたくさんの方がここにきてくださったんだなという気持ちもすごくありましたし、
逆にその方々が代表で、というのもちょっと変なんですけど、その2万を超える応募があったことは、自分が(今日)滑るわけではないので、フィギュアスケートのファンではない方もいらっしゃったかもしれないですけれども、そういった方々が自分のことをすごく応援してくださってるというか、すごくこのモニュメントを楽しみにしてくださってるというのが伝わったなと思います。
また、残念ながら足を運べなかった方々に対しても、先ほども言ったように、一人一人ちっぽけかもしれないですけれども、僕も含めてすごいちっぽけかもしれないですけど、1人から2万とか、3万近くとかそういうふうに数が大きくなっていくにつれて、すごく大きな力になると思うんですよね
そういった大きな力を改めてその数字ということから感じさせていただいたなと思うので、改めて感謝したいなと思います。

――モニュメントのデザイン。感想は?

◆まず写真からそのまま使われている点に関して、すごく自分では気に入っていて。
自分は滑っている時の瞬間が一番、羽生結弦になれてるなと思うので、そのなんだろう……。
その滑っている瞬間を切り取ったものとして、デザインが残されるのはすごくうれしいなと思っています。
また本当に細かいんですけれども、ソチオリンピックから平昌オリンピックに向けてブレードの色が変わったりだとか、そういった細かいところまで非常に繊細につくられてるものだなと改めて感じたので、そういった細かいところとかも見ていただけたらなと。
せっかくソチオリンピックと平昌オリンピックと並んでモニュメントが建てられるということなので、そういった細かいところもちょっと気にして見ていただけたら楽しんでいただけるんじゃないかなと思います。

――デザイン発表式で、(仙台市地下鉄東西線・国際センター駅前に)自らのモニュメントがソチに続いて平昌分の2枚並ぶのは恐縮と話したが、少年のころの自分に何と声をかけたいか。スケートを頑張っている子へメッセージを。

◆僕も実際に小さい頃に(NHK仙台放送局の番組に)特集していただいて、ほんとに小さかったな、って思うことも、すごく今フラッシュバックして、いろいろ思い出しました。
(2017年に建てられた06年トリノ五輪女子金メダルの)荒川(静香)さんの(パネルの)隣に二つ並ぶのは、自分がやってこられたことに対して胸を張っていられるなと改めて思いますし、逆に小さい頃から仙台から頑張ってきて、荒川さんの隣に立てるのは、仙台のそういうお力を感じるなと思います。

今フィギュアスケートを頑張っている子たちに対して、そうですね。うん。
もしかしたら僕の演技を見て始める選手とかもこれからいるのかなとか思ったりもしてて、その子たちがこういうふうになりたいなと思えるような人間で常にありたいと思いますし、
またそういった僕が感じた仙台の力とかそういったものに関しても、ちょっとでも感じられるような貢献を僕もこれから、荒川さんに助けられたように、これから僕も仙台に対していろんな力を使っていけたらなと思っているので、頑張る環境をつくっていきたいなと思います。ありがとうございます。

――羽生選手の今の夢は?

◆実は1年前までは自分の夢は4回転半のジャンプだったなと思ってます。それをやることによって自分の夢が達成されるって思ってました。
ただ今の自分の気持ちとしては4回転半は夢じゃなくて、しっかり習得してマスターしたいものだなと、本当にすごい近い、具体的な、何というかな……、挑戦すべきもの、みたいなものに思えてるので、夢ではないかなと思っています。
だから、自分の夢は……、
4回転半を初めて公式試合で、きれいに決める人になりたいっていうのが今の夢かなと思います。

――ファンはどういう存在か。

◆つらいことも、うれしいことも、もしかしたら自分よりもつらくなってたり、自分よりも喜んでくれてたりする存在なんじゃないかなと思ってます。
なんか、やはり直近のこの2シーズンの間、2回も大きなケガをしてしまって、その時に、うん。自分よりもすごくつらいような方もいらっしゃったりとか、そのなかで苦しい状況のなかですごく前に向かってというか、上に向かって立ち向かってる方、そういうメッセージとか、手紙とかたくさんいただいたので、そういう方々の思いが自分に還元されて、最終的に自分の演技になってるんじゃないかなと強く思うので、一言で言うと自分のスケートの源みたいな感じがしています。
これまで平昌オリンピック前の前のシーズンあたりまでですかね。勝たなきゃいけないとか、強くならなきゃいけないとかいろいろ考えてる時にすごく自分主体だった時があって、
でもそういう時でもすごく応援してくださってる方々の力っていうのは感じていたんですけれども、平昌が終わってあらためてこういうモニュメントとかを設けてもらって、改めてみなさまの力が、思いの力がすごい自分のスケートに役に立っているというか、うん。すごく直接的にみなさまの思いというのが伝わっているんだなというのを改めて感じてるので、
そういう方々に逆に僕から感謝したいなと思いますし、せっかくスケートではない機会なので、しっかりと発表式か。発表式の時もみなさんの一人一人の顔をみてありがとうと思ってましたし、また、たくさんテレビだとかインターネットだとか、そういうところでみてくださってる方もいると思うので、この場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございます。ありがとうございます。

――このモニュメントのこのシーンにどんな思いがあるか。

◆このモニュメントのデザインのなかに写真っていうのが強く印象に残っていて、自分が滑ってる瞬間を切り取ったものだと思ってるので、このモニュメントを見ることによって、自分の演技だとか……。演技全体でもなくてもいいんですけれども、この瞬間が少しでも思い出されるようなものになったらうれしいなと思います。

――モニュメントのポーズについては?

◆(フリーの曲「SEIMEI」の)冒頭の「ジャン」、って(音楽が)鳴ってから、縦笛が流れているとこのシーンなんですけど、
最初のポーズで、天と地と人とすべてつかさどってると感じていて、それを野村萬斎さんと話をさせていただいた時に、それを改めて意義づけしてもらって、それをすごく大切にしてこの演技をしてました。
で、これはそれから、そこのポーズから動き出してるシーンなんですね。
そのつかさどってるところから、それを支配しながら、まわりの環境というのかな。うーん、この時はリンクなんですけど、そのリンクすべてをその自分の支配権に置くみたいな。そういう強い気持ちで、意味をもって滑ってました。
ありがとうございます。(退場時に)ありがとうございました。これからもお願いします。