白山豊原寺
702年泰澄が建立し

平安時代には白山信仰の拠点として
平泉寺とともに権勢を誇り
藤原利仁より荘園の寄進を受けている
「疋田斎藤、川合斎藤の祖として福井では有名な
あの伝説的な武人です」
平安時代末期には京へ攻め登る木曽義仲と組み

室町時代には僧兵を多く抱え豊原三千坊と呼ばれ

戦国時代には加賀一向衆に対した
朝倉方に組みし平泉寺とともに戦う

織田信長による朝倉滅亡後は
越前大混乱の中
一向衆と戦い敗れ支配下に入る事になる

再び織田信長の越前攻めの際には
一向衆に組みしている為
破滅的に叩かれ滅亡となる

柴田勝家が越前に入り、甥の勝豊が豊原寺跡地に
豊原城を築く、この時勝豊の援助で
豊原寺が再興される
後に勝豊は新たに丸岡城を築き
豊原寺に旧地が戻された

以降、結城秀康、福井藩、丸岡藩の支援を受け
白山信仰拠点であったが
明治時代に入り神仏分離令の影響もあり
廃寺となる

絶対に獣が居そうなので上には登らなかった
豊原から望む越前