富山県射水市串田に鎮座する
建内宿禰が斎主となり創建したとされる
延喜式内社 櫛田神社

先日、出雲の歩道にて櫛名田比売にお会いしたが
まさかこんなに早く再会するとは思わなかった
「クシナダヒメの画像は出雲にて」


ただこちらの大蛇退治は出雲での八岐大蛇伝説とは違い


昔、串田と円池の間に大きな池があり大蛇が住んでおり、
村人を呑み込んで、村人を苦しめていた。
ある日、田植えをしていた女を呑んだ時に
女の櫛が咽につまり、大蛇は死んでしまう
村人は、その櫛と女を祀って、社を立てたという伝説であったり
別の伝説では、大蛇が、女がさしていた櫛を見て恐れて逃げたとする伝説となっている
この神社の脇には北陸地方での縄文時代中後期の指標となる
「串田新式」と呼ばれる土器や石器が出土してる串田新遺跡を始め

多くの古墳群や遺跡が集中している
少し離れたところには四隅突出型墳丘を含む
(墓鏡坂墳墓群)(六冶古塚)(富崎墳墓群)(杉谷古墳群)などがあるが
出雲と北陸は同文化、別勢力との考えもあるので
これだけで出雲と串田が繋がっているというのは早計だろうか

また祭神の異説として、(越中國式内等舊社記)に、大若子命とある
大若子命は別名を大幡主大神といい、筑前・櫛田神社の主祭神
越の国(北陸)の賊徒阿彦を討伐することを命ぜられ
大いに旗(幡)を挙げて戦いに勝ったので大幡主と呼ばれている
外寇防御の神宣として、当地に祀られてという
串田の他にも越後や佐渡にも、この神を祀る神社がある
筑前・櫛田神社での大幡主大神の左殿の天照皇大神は
大幡主大神がその側を離れずに奉仕したことから奉祭されたという
蝦夷の討伐、懐柔に則したこちらもありえる