菅浦文書は中世の庶民の生活が分かる1200点余りの国宝指定の古文書だ

その菅浦では鎌倉時代の終りから室町時代にかけて、20人の「乙名おとな」と呼ばれる人々を中心に、住民が集って村の中のことを決める自治組織「惣」という組織があった
領主の代官を頼らず、年貢は乙名たちでまとめて領主へ届ける
また、他の村との裁判や合戦を指揮するのも乙名の役目だった
菅浦では10余りの「掟書おきてがき」と呼ばれる村の法律をつくっていた。 この法律では、ご主人がいない家などからは税金を取ってはいけないと決めていて、弱い立場の人を守る仕組みも存在した
また菅浦には「四足門」と呼ばれる二つの門が残っている、


これらは村の内と外を分ける役目をはたしていた。中世の村人は、山の中には悪い病気や、人を不幸にする神々が住んでいると信じていた。 それらが村の中に入ってくることをたいへん恐れ、この門で防ごうとしていたと考えられる