ちょっと思いついた想像話
気比大宮司 平松景吉の正室は朝倉義景と(細川晴元の娘)との間に出来た
息女であったという
一方、気比社の気比神人は日吉神人と共に日本海の交易に従事していた
気比神人は気比、日吉の後ろ盾の他に朝倉の後ろ盾も得ていたという事だろう
また日本海と京を繋ぐ間には、湖北の大きな津となる塩津、大浦を抑える
浅井氏がおり、朝倉と浅井の関係の一端には気比神人、日吉神人の交易による
利権も含まれていたと考えられる
織田信長が浅井との姻戚関係を望み、朝倉を敵としたのは
朝倉が信長の敵対勢力であった事は当然ながら
日本海交易を抑える目的があったのであろう
そして琵琶湖流通の要の一郭を浅井氏に持たせたかったのではないかと考える
しかし浅井氏は信長と朝倉氏を天秤に掛け
現状の日本海交易利権を選んだとも言えるのではないだろうか

朝倉氏滅亡後に信長は敦賀の気比神人、川船座を支配下とし
敦賀には自身の直属配下として武藤 舜秀(むとう きよひで)を入れ
今浜(長浜)には木下藤吉郎、大溝には織田信澄、坂本には明智光秀と配置し
日本海と京を結ぶ琵琶湖を抑えていった