今日1日を振り返ろう

 

 

 ♦︎今日の為替、なんやねん。

明日の銘柄選定に多大な影響を及ぼす今日の値動き。取り敢えず、夜間のシカゴの先物と個別銘柄の動きをチェックして、明朝の米株と米国債と為替と原油と金がどうなったかは確認しておこう。

更に明日はリバランスも考慮さんとあかんけど、一方でドレッシングの可能性もある。

自分的には、デイは大体決めてるけど、朝の10分トレがまだ未定。


♣︎さて、今日は昭和の日。

昔を振り返りたいと思うが、その前に圧倒的な真実として、人は住んだ家の中では、生まれた家が一番の豪邸である。筈😁。

∵赤ちゃんの時の体は小さい。当然のことながら同じ部屋であっても、大人になってからよりも子供の時の方が、圧倒的に大きく感じるから。

生まれた家はあまり定かではないが、多分、8畳と6畳(4畳?)と4畳半、そして台所と風呂と便所と玄関と勝手口と縁側であった。そして物置があった。

庭には、鶏小屋があって鶏を飼っていた。

玄関は引き戸タイプであった。トイレは大と男用の小と2つあったが、いろいろと住んだ中で、2つあったのはここだけである。

網戸というのはまだなかった時代だと思う。夏になると蚊帳の中に入って寝た。僕が不思議というか覚えてないのだが、昔はゴミ収集車なんて記憶にない。生ゴミは庭に穴を掘って埋めていた。燃えるゴミは焚き火で燃やしていた。そもそも今みたいにプラスチックゴミが出ることはまずありえなかった。例えば納豆の容器は藁である。豆腐は、お店に鍋を持って買いに行った。弁当箱を包むのは新聞紙。本当のエコな生活をしていた。

物心がつき、小学生3年の時に、父が転勤となり、今はなき徳山市に引っ越した。この時の家は、かなり感覚的にも実際にも小さくなった。

しかし、多分この時代までは、台所には釜戸があった。当然のことながら燃料は🪵マキである。父が薪割りをしていたのを覚えている。当然のことながら都市ガスなんてなかったし、我が家はプロパンはなかったはずであるから、どうしておかずとか作ってたのだろうか?石油コンロ?と考えていたら思い出した。七輪だよ。木炭だよ。お風呂は五右衛門風呂(最初の家は木の風呂だった)で、薪で沸かしていたが、当然のことながら、出るゴミで燃えるものは燃料になっていたのだろう。石油ストーブや電気炬燵もまだなくて、火鉢に炭で暖をとっていた。

考えてみると、本当に貧しい生活ではあったが、今の世の中よりは、人情というものがあった時代であった。今の時代便利にはなったが、その分、情が薄くなったように思う。

そんなこんな戦後の復興から高度経済成長期を経験したものからすると、今の人達のグチは、贅沢やね。

昭和の思い出、取り敢えず、今日はこのくらいにして、続きははっぴーよからむかなの方で語ろう。




 

 

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