今回はちょっと寄り道させていただきます。このブログの「はじめに」でも書いたように、私は「ヤマト2202」を第三章まで視聴した後、「ヤマト2202」の旅から退艦しました。なぜ私が第三章で退艦したのかを書いておこうと思います。

元々この記事は、2017年11月中旬頃に、とある方のブログにコメントとして投書したものです。その方は、「ヤマト2202」を大変楽しみにされていた方でしたので、

ものすごくご迷惑をおかけしてしまいました。今回のように、最初から自分のブログを立ち上げて述べるべきだったと大いに反省しています。

今回の掲載に当たり、元のコメントに一部加筆してある部分があります。

 

第十一幕を(もしいらっしゃれば)楽しみにされていた方がいらっしゃいましたら、

申し訳ありません。第十一幕以降は、いよいよヤマトも戦闘に突入することになり、

シリアスな場面がどんどん増えていきます。鋭意構想中ですので、しばらく更新を

お待ち願います。

 

<<「ヤマト2202」第三章の感想(2017年11月中旬時点)>>

 

(1)ただのか弱い女の子になってしまった森雪。

再登場したと思ったら、いきなり自殺(未遂)ですか。「さらばヤマト」の森雪死亡シーンは、私の完全なトラウマですので、森雪が身を投げた瞬間、息が止まりそうになりました。「さらばヤマト」の『人の命を軽んじる』姿勢が、しっかりと2202に継承されていることを確認できちゃいました。

私がこの場面で期待していたのは、斉藤から事情を聞いた森雪が、心神喪失状態の

古代進を叱咤激励し正気に戻し、何らかのヒントを掴んで、他のヤマトクルーと協力して、限られた時間の中で3名の蘇生体爆弾を特定・排除することでした。

2199世界の漢前でかっこいい森雪なら、きっとそうしたはずです。

第三章上映開始直前の何かのインタビューで、福井さんは、古代進を主人公として

際立たせるために、森雪は目立たないように描写しているという趣旨の発言をしていました。2202作り手としては、森雪の自殺(未遂)に大変満足しているのでしょう。

 

(2)必殺ビーム兵器の応酬も、派手な爆発も、大艦隊も観たかったけれど、

  一番観たかったのは「知略 vs 知略」の戦い。

ヤマトが単艦で戦っている以上、決め手の武器である波動砲の有効活用は当然です

(注1・注2参照)。私が観たかったのは、そこに至る「知略 vs 知略」の戦いでした。

2199では、何度か遭遇戦はありましたが、ヤマト側もガミラス側もそれ以外はきちんと作戦を立ててから戦いに臨んでいます。そして、作戦通りにいかないピンチに陥っても、冷静に状況を分析し、新たな対策を立てて、事態を打開しています。

典型的なのがメ2号作戦で、真田さんの「デブリが多いな」のつぶやきから始まって、

反射衛星砲の存在を突き止め、使用される反射衛星を特定・破壊した場面です。

2202では、大スクリーン映えする派手な絵はてんこ盛りですが、「知略 vs 知略」の戦いは(アステロイドベルトを除いて)ほとんど描かれていません。

 

(注1)銀河英雄伝説では、最初のイゼルローン要塞奪取の時には若干ためらいなが

    ら、ロイエンタール艦隊に包囲された際にはためらわずに、

    ヤン・ウェンリーはトール・ハンマーという大量破壊兵器を使用していま

    す。ヤン・ウェンリーは、自分が大量殺人者であるという自覚を常に持ちな

    がらも、自軍の被害を最小限にする最善の方法を採っています。

    まして、ヤマトは単艦で戦っています。古代進も、自軍の被害を最小限にす

    るために、波動砲を有効活用することは当然のことだと考えます。

 

(注2)ヤマトというと、松本零士さんと西崎義展さんばかりが注目されますが、

    「ヤマト1974」から「新たなる旅立ち」までヤマトシリーズに深く関わった

    故石黒昇さんの功績を忘れることができません。その石黒さんが、田中芳樹

    さん原作の銀河英雄伝説のアニメ監督を務められました。生前、石黒さんが

    「ヤマトが大好きな人たちに、ぜひ銀河英雄伝説を見て欲しい」と訴えて

    らっしゃったことが忘れられません。

 

(3)ズォーダーのとんでも話に対して、古代進に反論させなかった2202作り手。

ズォーダーが言っていることは「男女が愛を育み子を成すこと、誰かを大切に思うこと、それこそが争いの原因だ。生殖器官を持たない我々こそが『真実の愛』を宇宙に実現できる。すがれ、私に」です。どこかのカルト宗教団体の教祖が言いそうな荒唐無稽な台詞です。こんな与太話に、古代進は何の反論もできず、一方的に精神的に追い詰められました。

一応、ヤマトの敵として描いていますが、2202作り手は、この与太話に一理ありと

思っているような気がしてなりません。

ガトランティスは、降伏の概念を持たず、ひたすら破壊と殺戮を目的とする対話不能のアンドロイド軍団という設定になっています。この軍団の頭目・ズォーダーにすがった星がどうなったかは、第三章までには全く描かれていません。そのせいで、

「すがれ、私に」の台詞が空虚になっていますし、「真実の愛」の実体が皆目わかりません。

2199では、ザルツ人の生き様・メルダの言動・デスラーの言動に振り回されるタランお兄ちゃん・ヒスの帝都緊急事態宣言などを通じて、作り手がデスラーの狂気に賛同していないというサインをちゃんと送ってくれていました。

なので、安心して観ることができました。

 

(4)痛々しくて観ていられない古代進。

すでに第三章で心神喪失状態になってしまった古代進。今後、さらに厳しい局面が次々と襲いかかってきます。

ここからは私の妄想ですが、その中で古代進は、どんどん追い詰められ、最終的には

狂ってしまうのでしょう。「狂人と化した古代進 vs 狂ったアンドロイド・ズォーダー」の最終決戦を描くことで、ラストの特攻シーンに説得力を持たせることが2202作り手の狙いだと思います。2202作り手が描きたいテーマは「相手が外道である以上、こちらも外道にならなくては勝てない」だと思います。

 

(5)民族自決権を擁護し、植民星の解放を目指す反デスラー派を、狂人のテロ集団とし

  て描きました。

2202作り手の政治思想が露骨に表れていました。反吐を吐きそうになりました。

 

(6)いなかったことになった、ユリーシャ・メルダ・エリーサ・ディッツ・バーガー・

  ネレディア。

ユリーシャたちが、ガミラス再建の主導権を握っていれば、独立を希望する植民星には素直に独立を認めたでしょうし、ガミロイドに頼らなければ維持できない拡大政策を転換し、困難ながらも少しずつ軍縮の道へ舵取りしていたことでしょう。

しかし、降伏の概念を持たず、ひたすら破壊と殺戮を目的とする対話不能の

アンドロイド軍団と戦っている状況では、ユリーシャたちの願いは無視されるのが

当然と2202作り手は考えたようです。この辺の事情を描くのは面倒くさいので、

いっそのこと、ユリーシャたちはいなかったことにしようと決めたのでしょう。

毎回の上映冒頭で語られる、これまでのあらすじに、ユリーシャが全く登場しないのは象徴的です。

 

(7)土方さん、あなた本当に沖田さんの親友ですか?

ヤマト出航前の8年間、ガミラスとの戦いで地球側が勝利できたのは、第2次火星沖海戦だけで、他は全敗です。メ号作戦は、陽動作戦としては成功しましたが、引き換えに地球防衛艦隊はほぼ壊滅してしまいました。沖田さんも土方さんも、負け続けていたわけです。

こんな状況でも、沖田さんは「最後の一人になってもわしは絶望しない」と言いました。一方、土方さんは、第11番惑星の戦いに負けただけで「俺は負けた男だから」

と2回もつぶやきます。もちろん、沖田さんと土方さんは別人ですから、個性が違うのは当然ですが、親友ならば「最後まで絶望しない」という思いは共有して欲しかったです。

 

(8)便利ツールと化した波動砲。

重力崩壊を始めたシュトラバーゼを前にして、真田さんは「惑星規模の質量を送り込めば、重力崩壊を止められる」と進言し、土方さんが波動砲で大規模エネルギー

(=質量)を送り込みます。しかし、重力崩壊している場所に、さらに質量を加えれば、重力崩壊は止まるどころかかえって加速します。重力=万有引力なのですから。

しかも、凄まじい威力を持つ波動砲の射線近くにいた古代進と森雪、3隻のガミラス艦は素粒子にまで分解し蒸発してしまったでしょう。

2202作り手の中には、まともな科学考証のできる人はいないようです。

 

(9)復讐にとらわれた血に飢えたゴロツキ=斉藤始。

フラーケンやハイニ、ゴラン・ダガームは愛すべきゴロツキでした。

2202作り手は、ゴロツキの描き方が上手ではないようです。

 

(10)死者を冒涜する「蘇生体爆弾」という設定。

死してなお爆弾として兵器に使われるガトランティス戦士たちを見て、ホラー映画を

観ている気分になりました。私の勝手な認識では、宇宙戦艦ヤマトシリーズは、

Science Fictionであり、ホラー映画ではありません。

この設定が福井さんのアイディアだとしたら、この方はよっぽど「死」というものを

軽く考えているのでしょう。甚だしく気持ち悪いです。

 

(11)トドメは、「2202で絶対に観たくなかった男=デスラーの再登場」です。

デスラーが再登場するからには、性懲りも無く、ガミラスで帝政復活に邁進するのでしょう。これでは、ヒスの「これが指導者のすることか!! デスラー!!」の叫びも、ユリーシャの「私は彼の地に赴き人々の支えになります」という言葉も台無しです。2199の世界観を粉々に破壊することになるでしょう。いや、それが目的だからこそ、2202作り手は、ユリーシャたちをいなかったことにしたのかもしれません。

 

福井さんは、「元のストーリーを尊重するけど、それをそのまま現代に再現しても意味が無い」と言いました。2202作り手は、2017年の今、対話不能な勢力が現実に存在し、それと対峙するには軍事力しかないと訴えたいのでしょう。

 

以上、長い駄文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。