田端泰子『ミネルヴァ日本評伝選 日野富子‐政道の事 輔佐の力を合をこなひ給はん事‐』 ミネルヴァ書房
室町幕府8代将軍足利義政の妻で、9代将軍義尚の母である
日野富子の伝記。
今風に言えば、当時のファーストレディ。
だが、近年まで政治をほしいままにし、応仁の乱のきっかけを作ったなどと言われ、
これも今風に言えば、日本史上における代表的な「悪女」とされてきた。
著者の田端氏は、日本中世史の研究者で、
特に長年、女性に焦点をあてて多くの論文を発表されてきた。
というわけで、私なりに解釈した本書のテーマは、
日野富子は悪女にあらず。
超がつくほどの良妻賢母で、政治家としても優れていたという事だろう。
6代将軍義教→恐怖政治により、暗殺
7代将軍義勝→早世
8代将軍義政→超がつくほどのダメ男
で世の中が大混乱。
この時代の幕府を切り盛りできたのが、富子しかいなかったという事だろう・・・。
歴史研究は、古文書・古記録を読み解いて論文を執筆する。
当然、読むことのできる史料の内容に制約を受ける。
この時代の歴史像を析出するのに必須の記録が、
興福寺の僧・尋尊(じんそん)が書いた『大乗院寺社雑事記』。
ざっくり言うと公家出身で奈良・興福寺のほぼほぼトップについた僧侶の日記。
で、どうやらこの尋尊さん、富子の事が嫌いだったようで記録はおおむね辛口。
というか悪口・・・
この事も「悪女」評の定着にだいぶ寄与したようで・・・。
田端氏は他の史料を駆使して、富子頑張った説の主張に成功というところだろうか。
応仁の乱で、対立する西軍にお金渡して撤退。
乱の収束にこぎつけるとか豪傑すぎる。
それにしても義政のヘタレっぷりよ・・・。
銀閣寺を見ると、いろんな事を想像してしまうのは私だけだろうか・・・。