オンエア作品 《ヌーベルバーグ》映画『いとこ同志』 | ART and MOVIE CITY COMMENTS

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映画『いとこ同志』1959年3月公開.フランス. 監督・脚本クロード・シャブロル. 出演ジェラール・ブラン、ジャン=クロード・ブリアリ、ジュリエット・メニエル、ほか。

《ヌーベルバーグ(新しい波)》映画の本格的な最初の作品とされる。

クロード・シャブロルの監督長編第二作。興行的に成功し、のちのヌーベルバーグ作品の財源にもなった。

(シャブロル第一作『美しきセルジュ』〔1957年からの撮影、1959年1月公開〕をヌーベルバーグ映画第一作とする見方もある。日本では1999年に劇場公開されるまで、あまり認識されてなかったか。先にNHKBSで放送されていたと思う。
同じくブリアリとブランの主演だが、シャブロルの〔相続〕資産により、公開の目処なく制作。
前衛性を含んだ往年の監督の名を冠したジャン・ヴィゴ賞を受賞しているが、
特にヌーベルバーグの作風は感じない。)


いま見ると、ジャン=クロード・ブリアリ氏がMr.ビーンに髭が生えたみたいだ、と言ってはいけない?

書店でバルザックを探す場面。
同じ《ヌーベルバーグ》のフランソワ・トリュフォー監督『柔らかい肌』(1964年仏)の主人公もオノレ・ド・バルザックを語ってたな。

撮影はアンリ・ドカエ。
『太陽がいっぱい』(1960年仏伊)の撮影監督でもある。
《映画史》的な理解としては、
映画制作に於いての1950年代末からの〔→※1〕新勢力《ヌーベルバーグ》に対抗する形で、
フランス映画界のベテランを代表するルネ・クレマン監督らによって確固たる映画手法が披露された作品が、『太陽がいっぱい』であると捉えていたが、〔→※2〕
実作に当たると、双方の人脈、ひいては作風のつながりが無視できない。
(『雨に唄えば』〔1952年米〕などのMGMミュージカルと『ウエスト・サイド物語』〔1961年米〕との《比較》を連想する。
『5つの銅貨』〔1959年米〕と『ウエスト・サイド物語』の画像が同じ映画かと思うほど近く、どちらもダニエル・L・ファップの撮影であることも、ちょっと気になる。)



※1 映画の評論に於いては、1950年代前半から、後に映画監督として名を上げる20代の新人たちが特徴的な活動を始めている。
この映画史上の《ヌーベルバーグ》の、出発点とされる活動が、
映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』1954年1月号に掲載された、21歳のフランソワ・トリュフォーによる評論文『フランス映画のある種の傾向』である。
(『ユリイカ 詩と批評 臨時増刊 総特集・ヌーヴェル・ヴァーグ30年』1989年12月号 で私は日本語訳全文を読んだ。)
ここでは、言わば固定化された《原作》《脚本》中心の映画制作が批判を受け、《演出》の自立性を生かした映画制作が、早くも賞揚されている。

(トリュフォーの苗字の語源を、書く題材として調べたくなり、
『Truffaut 意味』と検索したところ…とんでもない意味が出てきて…本当ですか?これ?
リンクを貼ることすら、ためらってしまう。
Francois Truffautってペンネームか芸名なんでしょうか?ユーモアまじりの?
〔ならば多少ここで取りあげても意義があることかもしれませんが。〕
しかし人間の心理として、自分の行いに正当性をすこしでも感じているなら、それをわざわざ悪く例える意図で表したりしないだろう。
『トリュフがなかなか採れない』から『嘲る』の意味になり、更に強烈な意味はそこから派生したそうで、
おそらく元々の『トリュフ』の意味が一番強く、他は二次的な解釈程度のものでは?)

※2 実際に、『太陽がいっぱい』主演のアラン・ドロンは、《ヌーベルバーグ》の映画とは没交渉であり続け、
1990年に、《ヌーベルバーグ》を代表する監督ジャン=リュック・ゴダールの映画『ヌーヴェルヴァーグ』に主演した時は、画期的な出来事と捉えられた。
(ジャン=ポール・ベルモンドは《ヌーベルバーグ》に限定されていないが。)





(加筆予定)