冨田真由さん被害事件判決等に愕然 | ART and MOVIE CITY COMMENTS

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警護の段階でも、(冨田真由さんの手記
〔弁護士ドットコムTwitter(冨田さん手記全文へのリンク) パソコンhttps://mobile.twitter.com/bengo4topics/status/809677207412973568?p=v
でも指摘されているように)
被害者の冨田さんを守る(言わば《権力》を持つ人々の)意識が薄かったから、こんな実害が出てしまったのだろうけれど、

今回も、被害者を守ろうという意識が薄い判決だと感じる。

まるで冨田さんが被害を受けてしまうまでの経緯の繰り返しのごとき印象を受ける。
ああ、たしかにこんな風に冨田さんは充分に守ってもらえなかったんだな、と(状況認識として)わかってしまう感じすらある。

判決が求刑(17年)より2年半も軽くしている点の理解に苦しむ。

それはまるで、
《冨田さんの被害など軽いものであり、充分な救済に値しないものだ》
という危険なメッセージを生み出しかねない。
ゾッとして吐き気がする。

冨田さんが判決にショックを受けたのは当然だろう。

退廷を命じられる程の恫喝的暴言を、被告が法廷内で叫んでいるのに、
そこから再犯の可能性が充分に読み取れるのに、

後で『反省文』を読み上げたから、それが刑期を減らす理由になるなどというのは、
子供のママゴト程度の『形式主義』を連想すると言うか、
強引に『前例』にねじ込んで個別の、被害者の深刻な実情を見ようとしない冷たさと言うか、
一体これが現実の事なのかと唖然とする。


ストーカーであるのみならず、(被害者が何の落ち度もないのに襲われているという)通り魔的な加害者の犯行の悪質さ、

法廷での加害者の態度から予測される再犯可能性など、

前例が無いほど明確な深刻さがある。

法律は前例主義で運用される、などという人がいるが、

この被告は前例のない犯行、態度を取っているじゃないか。

そこのところを何故見ないのだ。


これ究極の問題だよね。なんで政治(立法)が黙ってるの?

終身刑が無いだとか、加害者出所後のシステムが整っていないだとかの日本での状態も、

結局は、
(これまで私のブログ等でも述べてきた、他の日本でのテーマについてと同様に)
日本の立法(あるいは行政の運用面でも)が、他の民主主義先進国では類を見ないほど、
弱者(被害者)の苦境を考えず、弱者を守ろうとせず、
ただただ放置してきた態度の、あらわれに過ぎないのではないか、と思えてくる。


加害者の再犯可能性があるのに、権力を持つ人々が対応しないとすると、責任問題だろう。