昨日、父が亡くなりました。
直接の死因は、大腸癌。
見つかったときには既にステージ4で、肺にも転移し、医師からは余命3ヶ月を宣告されました。
それから余命のタイムリミットを半年以上も更新しましたが、ついに力尽きて還らぬ人となりました。
私のブログで、何度か父との関係を綴らせてもらいましたが、いざ居なくなると寂しいものです。
父の余命宣告を受けて直ぐに、母が事故死で亡くなり、それから私たち兄弟で父の看病をしましたが、亡くして初めて、その看病の時間さえ大切な時間であったことに気付かされました。
私の妻のご両親も癌で亡くなっていますが、看病する側にも、一つ一つ現実の重さを受け止めなければならない、過酷な状況が次から次へと現れます。
そして最後は、食事も喉を通らなくなり、痛みに耐えきれなくなって、強い痛み止めを注射してもらい、そこから意識が戻ることがなく死んでいくのです。
医師からは、もうそろそろ命が危ないという頃合で、延命処置を希望するか否かを質問されます。
うちの場合は、妻のご両親のときにも『延命は望まない』と答えました。
人それぞれ感情は違うと思いますが、毎日苦しんでいる姿を見て、もうこれ以上苦しませたくないというのが私たち家族が出した答えでした。
人は何かしらの理由があって死にます。
病気、事故、老衰等々…
どんな理由で死ぬにしても、遺された家族は辛い思いをしなければいけません。
どんな状況であっても、必ず後悔もします。
家族の死とは、それだけ遺族にとっては受け入れ難い現実だということです。
この世に生を享けるということは、一瞬の出来事なのかもしれません。
人間はどこから来て、どこへ還って行くのかも分かりませんし、もしかすると、この世は仮想現実で夢の中にいるのかもしれませんけど、それでも家族と過ごす時間というのは、掛け替えのない時間であることは紛れもない事実です。
父とは、決して良好な親子関係ではありませんでしたが、看病という最後の親子の時間を過ごし、感謝の気持ちを伝えられたことに、不思議と私の中の蟠りも消えていました。
あなたがいなければ、私はこの世にすら存在していまけん。育ててくれたことに感謝しています。