長山洋子の演歌一直線。 | 慚愧のブログ

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モデルガン、ガスガン、エアガン、紙飛行機にコントロールラインなど 絶滅危惧種が趣味。

38歳で、3度目のアルコール病棟を退院して、アルコール依存症の中間施設『三ノ輪マック』に二度目の通所。午前、昼飯、午後のプログラムを終え、夕方16時に『洋子の演歌一直線』を見てから夜のAAミーティングへ。365日、休み無し、たまには休みたいと所長に言うと、飲酒欲求は365日、休みは無いだろう。と言われて、返す言葉が無かった。

『三ノ輪マック』はAAのプログラムを解り易く基礎的なステップを教えてくれる。朝から夜までミーティングを歩けと。それぞれの事情で酒を止める必要の有る仲間(断酒初心者)とAAのホームグループを繋ぐ施設です。ミーティングの隙間に演歌のTVを見ながら与太話。26年前の事。あの時の仲間は何人生き残っているのかな?『洋子の』番組も時間帯が替わったけど今も続いている。28歳で三ノ輪マックに繋がったけど、AAプログラムの良い所取りしていた。

1番嫌な自分の棚卸しを避けていた。12のステップを実践しなければと3度の入院と12年の結婚生活の終わりから突き付けられた。自分の生きた道を正直にノートに書いて、その時、どんな気持ちだったのかを赤裸々に書いて、AAのスポンサー(尊敬出来る相談役)と読み合わせる。墓場まで秘密にしたいと思っていた過去は神(自分が信じる)にはお見通しだったと。酒を飲む為にはしたくない事も、それは病気だったからと理解出来た

それから7年はホームグループの裏方をして、就職した。

今はホームグループも所属していないし、ミーティングも年に数回。ベースに『三ノ輪マック』とAAプログラムが入って、酒は不要になった。会社の忘年会にも出るが、普通の人達はほんの少しで酔えて楽しく帰る。適当に話を合わせて食事を楽しんで帰る。

 自分の意思で酒を飲んだら最悪なコースへ一直線です、

多くの仲間が落ちたのを見せてくれた。止め初めは綱渡り

飲まない時間が増えるほど綱から板へ、板からアスファルト道路へと足元は安定してきた。今年の10月で26年。パートしながら年金を貰えるようになった。酒が止まっても所詮アル中、上手くは生きれない。トラブルが有っても酒に逃げないのは人生のどん底を噛み締めたから。残り時間は楽しい事をする。失敗は乗り越えると経験になる。つまらない奴らは視界から外せばいい。今の課題はUコンの操縦を体得する事とパート勤務の賃金アップ。言い出し難い事もやってみる。4月から会社も新年度、駄目もとで社長と話をしよう。真っ暗闇のどん底から比べたら些細な事だ。

良い人ゴッコから少し厚かましく生きよう。飲まない人生を歩く為にも。