《勝浦アーカイブ no.69》
旭造舩株式會社殉職者之慰霊碑
虫浦の栽培漁業センターの道路を挟んだ山側の高台に、高さ4、5mの石碑が立っている。彫られている文字は「旭造船株式会社殉職者之慰霊碑」とある。
昔、太平洋戦争中にここに大きな造船所があったと言う話を聞いたことがある。ここで中型や小型の木造戦時標準船が作られていた。
昭和20年敗戦間近になると浜勝浦や虫浦が何度も米軍の爆撃にあった。その中で建造中の逓信省海務院航海訓練所の木造練習船「あわしま丸」250tが空襲により8月10日全焼してしまった。
この様な空襲の殉職者の慰霊の為に昭和55年に建立された慰霊碑です。
昔の人はここ虫浦を地名で呼ぶより「造船所」と呼んでいた年寄りが居ました。ちなみに大きな造船所であったので自前の病院を持っていて、敗戦後に旭造船から病院の所有権を譲り受けて塩田病院が発足したんだそうです。
昔、太平洋戦争中にここに大きな造船所があったと言う話を聞いたことがある。ここで中型や小型の木造戦時標準船が作られていた。
昭和20年敗戦間近になると浜勝浦や虫浦が何度も米軍の爆撃にあった。その中で建造中の逓信省海務院航海訓練所の木造練習船「あわしま丸」250tが空襲により8月10日全焼してしまった。
この様な空襲の殉職者の慰霊の為に昭和55年に建立された慰霊碑です。
昔の人はここ虫浦を地名で呼ぶより「造船所」と呼んでいた年寄りが居ました。ちなみに大きな造船所であったので自前の病院を持っていて、敗戦後に旭造船から病院の所有権を譲り受けて塩田病院が発足したんだそうです。




