8代将軍・徳川吉宗の人物像についてまとめる機会がありました。それをもとにちょっとしたコラムです。
(人物像)
・御三家の紀伊家から8代将軍となりましたが、将軍になることを支援した老中たちを大切にし、引退するまで交代させませんでした。
・しかし、将軍となってからすぐに老中たちを集めて、「幕府の年間収入はいくらあるか」「江戸城の櫓や武器の数はいくつあるか」と次々に質問し、答えられない老中たちを叱ることなく、遠まわしに職務にさらに励むように促しました。
・寺社奉行の大岡忠相が、お寺の参詣に供をしていたとき、異例にも「越前守(忠相)はいるか」と声をかけました。
後で側近に御礼に伺った忠相に、「他の寺社奉行たちにも声をかけるつもりだったので、そう伝えてくれ」と伝言させました。他の寺社奉行たちのことも 思いやったのだと思います。
・徳川吉宗は長年仕えた側近が、大きな声を上げるところを見たことがないと言われています。
・諸大名から「上米」をさせたときは、そのお触れに「御恥辱を顧みることなく」と書き、諸大名に頭を下げて、米の拠出を求めました。
(そこから見えること)
吉宗は享保の改革のリーダーとして、大きな改革を成し遂げました。将軍自ら先見性をもち、強いリーダーシップを発揮したために、改革は大きな成果を修めたのだと思います。
でも、見逃せないのは人をとても大切にする人であり、心配りの人なのだと思います。だからこそ家来たちは吉宗の改革について熱心に支援したのかもしれません。
わたし自身もそういう人でありたいと思いますし、自分を伸ばしていきたいなと思いました。




