レトリック(修辞学)。
修辞技法と言ってもいい。
いろんな種類の技法を上り詰めた頃がありました。
その頃「詩のボクシング」という大会もありました。私は参加したことはありませんがいつか出場したいと思っていました。
テーマ(モチーフ)を、どんなタイプの詩でどんな世界観でどんな技法を使って表現するかを一瞬で決めて話すのです。
でも、その3つを決めれば言葉なんていくらでも溢れてくるので面白いのです。言葉にすると自然に結末の言葉に繋がってゆき自分でも驚く詩ができます。
若い私にはレトリックは相手を殴るパンチでした。
レベルの違いを見せつけ相手をひれ伏せたい道具でした。
何歳の頃だろう?
言葉でマウントをとるのは間違っていると気づいたんです。
伝えたい言葉を理解してもらうために、わかりやすくするためにレトリックがあるんだと気づいたんです。(当たり前のことなのにやっと気づいたんです)
だから、できるだけ易しい素直な言葉で伝えた方がいいって思ったんです。
例えば比喩を使わないでいいなら使わない方が伝わりやすい。
色は少ない方がわかりやすいものです。
それでも、易しい素直な言葉で書くのは実はとても難しいことでした。
簡単に言えばつまらないのです。
雑念を消すのに20年くらいかな?
苦労しました。
ただ、最近は違う思いもあります。
レトリックは遊びとしては面白い。
その面白さや驚きや奇跡は、誰かに伝える価値はあるように思うのです。
今日はなんだか変な話をしましたね。
人には3種類あるのかな?
本当に素直な人と、自己顕示欲の強い人と、自己否定型。
私は自己否定型なのにハリネズミみたいに時々、自己顕示欲の針で身を包む。そして目指してるのは素直な人なんです。
変人ですが、意外とそういう人は多いんじゃないでしょうか?
人は誰より自分の弱点を知っています。
それでも、これだけはってものは少しでもあるはずです。そして誰もが同じ苦しみの中で生きてることを知り素直になってゆきます。
最後に言いたかったのは、素直に書くことが易しくではなかったことです。
思いを伝えることは大切ですが、そこに私らしさ…があってもいいと思いました。
自分の抑え込んだ感性をもっと解放したくなりました。