スーパーの人込み。
母が亡くなって初めて、食材を買いにスーパーに寄りました。
人込みにまぎれると、心が軽くなった気がしました。
惣菜を見ればワクワクもしました。
最近、家にずっといると、気が狂いそうになるときがありました。
呼吸不全になり、胸がざわざわして、頭をかきむしっても混乱が止まらなかったり。
スーパーは、気晴らしにはとても良さそうでした。
そこで家族連れを見て、羨ましくて、やはり心が苦しくなる時もありましたが、店内を歩いていれば気持ちもまぎれます。
とにかく、母のいたリビングに24時間ずっと一人でいるのは苦しいです。
しゃべる相手もいない孤独は重いです。
母が亡くなって日が立つにつれて、どんどん心の負荷は重くなっていってるようです。
会う人たちはみんな、日が立てば、気持ちも少しずつ楽になってくるように思っているようで、その期待に応える演技をするのも疲れます。
たぶん、母の葬儀の頃が一番心は楽だったかもしれません。
それは介護が大変だったからで、不謹慎ですが、どこかでホッと溜め息をついている自分もいたと思います。
亡くなったあとも忙しくて、やることも考えることも多く、不思議なほどに悲しみは強くありませんでした。
日常の生活の中にこそ、母はたくさん存在していたので、普段の生活に戻るほど、いつもと違うことが私を悲しませます。
スーパーも、買うか買わないかは、すべて母を基準に考えていました。
食べてくれるか食べないかです。
私は残ったものを食べるだけでした。
だから、母のことを考慮せず買うことに慣れてなくて、その点では辛かったです。
野菜を中心に買って、198円のお弁当も買いました。
引きこもりの私が、人込みを心が楽だと感じるなんて、不思議ですね。
だけど、バイトも含めてかなり無理をしているのも事実で、現状は破裂寸前の状態です。
また引きこもって動けなくなる、そんな寸前で必死に動いています。
変わりたい思いも本心だからです。
がんばります。