欠かさず観てる番組ある?
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今日は、民放の日。
1951年(昭和26年)4月21日、日本で初めて民放ラジオ16社に放送の予備免許が与えられたことが由来のようです。
ラジオ?か。
子供の頃は、オールナイトニッポンが有名でした。
良くも悪くも、笑福亭鶴光さんが人気で、私の中にはエッチな人というイメージしかありませんでしたが、興味津々で、親に隠れてたまにドキドキしながら聞いたこともありました。
初めて聞いたのは、母方の祖母の家に従兄弟6人が集まり、一晩中起きて騒いでいた夜があり、その時に従兄弟の誰かがラジオをつけたのです。
それがオールナイトニッポンの鶴光さんの放送で、従兄弟6人、とても盛り上がったことを思い出します。
男3人女3人で、青春の意味さえ知らない若い頃でした。
夢と希望しかない、スタート地点でした。
タモリさんや中島みゆきさんも好きでしたね。
今日の質問。
欠かさず観てる番組ある?
介護生活が長く、近年は私も脳出血で倒れて闘病しながらの両親の介護で、番組を観る余裕がありませんでした。
若い頃はいっぱいありました。
フジテレビの月9のドラマは、1話でも見逃すと、死んだように落ち込むほど真剣に観ていました。
101回目のプロポーズやロングバケーションは、キラキラ輝いていました。
ザ・ベストテンも大好きでした。
初登場の曲はすべて録画して残していました。
ベータ版なので、今は観れません。
久米宏さんと黒柳徹子さんも良かった。
歌の勉強は、この番組が原点ですね。
朝の連想テレビ小説。
母が脳出血で倒れて私が介護しだしてから観るようになりました。
母が好きだったのです。
欠かさず観ていた番組?
そうそう、忘れていました。
フジテレビのプロ野球ニュースです。
贔屓のチームが負けると観ませんが、勝つと録画して10回以上も繰り返して観ていた頃もありました。
いつも横に母がいました。
そう、母は巨人ファンでしたが、いつしか私の応援してるチームを私以上に本気で応援するようになっていたのです。
思い返すと、いつも?私のそばには母がいました。
母の愛を感じていました。
そして、母の介護生活は、猛烈な密着の時間でした。
だから、反発も喧嘩もいっぱいしました。
わざと傷付ける言葉もいっぱい言いました。
我が家のテレビは、ほとんど消されることがありませんでした。
それは母が寂しがりだったこともあります。
そして民放のコマーシャルも、いろんな想い出があります。
テンポがあり賑やかで明るいコマーシャルは、それだけで気晴らしになりました。
母も私も、そう考えれば、テレビに一生を捧げていた人生かもしれません。
インターネットの時代ですが、テレビっていいですよね。
何かが観たいじゃなくて、流木のように流れてくるものなのです。
運命の出会い。
それが面白い。
それが、いいんです。
