欠かさず観てる番組ある?


▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう


 今日は、民放の日。


 1951年(昭和26年)4月21日、日本で初めて民放ラジオ16社に放送の予備免許が与えられたことが由来のようです。


 ラジオ?か。

 子供の頃は、オールナイトニッポンが有名でした。

 

 良くも悪くも、笑福亭鶴光さんが人気で、私の中にはエッチな人というイメージしかありませんでしたが、興味津々で、親に隠れてたまにドキドキしながら聞いたこともありました。


 初めて聞いたのは、母方の祖母の家に従兄弟6人が集まり、一晩中起きて騒いでいた夜があり、その時に従兄弟の誰かがラジオをつけたのです。

 それがオールナイトニッポンの鶴光さんの放送で、従兄弟6人、とても盛り上がったことを思い出します。


 男3人女3人で、青春の意味さえ知らない若い頃でした。

 夢と希望しかない、スタート地点でした。


 タモリさんや中島みゆきさんも好きでしたね。


 今日の質問。

 欠かさず観てる番組ある?


 介護生活が長く、近年は私も脳出血で倒れて闘病しながらの両親の介護で、番組を観る余裕がありませんでした。


 若い頃はいっぱいありました。


 フジテレビの月9のドラマは、1話でも見逃すと、死んだように落ち込むほど真剣に観ていました。

 

 101回目のプロポーズやロングバケーションは、キラキラ輝いていました。


 ザ・ベストテンも大好きでした。

 初登場の曲はすべて録画して残していました。

 ベータ版なので、今は観れません。

 久米宏さんと黒柳徹子さんも良かった。

 歌の勉強は、この番組が原点ですね。


 朝の連想テレビ小説。

 母が脳出血で倒れて私が介護しだしてから観るようになりました。

 母が好きだったのです。


 欠かさず観ていた番組?

 そうそう、忘れていました。

 フジテレビのプロ野球ニュースです。


 贔屓のチームが負けると観ませんが、勝つと録画して10回以上も繰り返して観ていた頃もありました。

 いつも横に母がいました。

 そう、母は巨人ファンでしたが、いつしか私の応援してるチームを私以上に本気で応援するようになっていたのです。


 思い返すと、いつも?私のそばには母がいました。

 母の愛を感じていました。


 そして、母の介護生活は、猛烈な密着の時間でした。

 だから、反発も喧嘩もいっぱいしました。

 わざと傷付ける言葉もいっぱい言いました。


 我が家のテレビは、ほとんど消されることがありませんでした。

 それは母が寂しがりだったこともあります。


 そして民放のコマーシャルも、いろんな想い出があります。

 テンポがあり賑やかで明るいコマーシャルは、それだけで気晴らしになりました。


 母も私も、そう考えれば、テレビに一生を捧げていた人生かもしれません。

 

 インターネットの時代ですが、テレビっていいですよね。

 何かが観たいじゃなくて、流木のように流れてくるものなのです。

 運命の出会い。

 それが面白い。

 それが、いいんです。