一時中断していた「氷川神社」、また戻って来ました
夏のイベントなどは並行してご紹介します
前回まで氷川三社の「氷川神社編」、「氷川女体神社」を見てきました
そして、いよいよ今回から氷川三社の最後の一社である「中山神社(簸(ひ)王子)社」を見ていきましょう
今回は以下についてご紹介したいと思います
- 中山神社(簸王子社)の印象と氷川三社の位置関係
- 〃 の参道(一の鳥居~二の鳥居)
- 〃 の境内
- 〃 の本殿
- 〃 の旧社殿
それでは順番に見ていきましょう
中山神社(簸王子社)の印象と氷川三社の位置関係
中山神社(簸王子社)の印象
「中山神社(簸王子社)の周りからの様子」ですが、他の2社に比べて「ひっそりと鎮座している」様子がありました
もう少しわかりやすく言うと、「なかなか見つけづらい」です
「第二産業道路(県道1号線)」と「さいたま幸手線(県道65号線)」から入っていきますが、第二産業道路と参道との交差点に小さな看板があるだけです
「社格」では、明治維新後に制定され、現在は廃止された「延喜式」という平安時代中頃に定められた制度に倣って等級化された「近代社格制度」では「旧村社」に当たるため、昔から村ごとにあった氏神様が祀られる神社だと思われます
ちなみに、「氷川神社(大宮氷川神社)」は、現在は「別表神社」という神社本庁管轄の神社、埼玉県内では久喜市の「鷲宮神社」など9社の中の一つです。
また、近代社格制度では「旧官幣大社」、その中でも「勅祭社」という祭祀に対して天皇より勅使が派遣される神社のようです 東日本では茨城県の「鹿島神宮」と千葉県の「香取神宮」の三社のみとなるようです
「氷川女体神社」は、近代社格制度では一宮ですが、「旧郷社」になるようです
旧郷社とは、県または市から奉幣(神に幣帛(へいはく:米や酒などの神饌以外のもの)を捧げること。)を受けた神社です。
「氷川神社(大宮氷川神社)」は非常に格が高いのですね
勉強して初めて知りました笑
氷川三社の位置関係
地理院地図(電子国土Web)を基に加工して作成
氷川三社間(本殿間)距離は上図にも示してありますが、以下のとおりです。
氷川神社~氷川女体神社 L=6.66km
氷川神社~中山神社 L=3.61km
中山神社~氷川女体神社 L=3.05km
また、氷川三社の位置関係は、かなり有名かもしれませんが、氷川三社はほぼ一直線上に並びます 等間隔ではありませんが「オリオン三星」のように並んでいます また、夏至の日の出の方角と冬至の日の入りの方角も示しているようです
中山神社から見て氷川女体神社の方角:
夏至の日の出の方角(真東から南に30°)
中山神社から見て氷川神社の方角:
冬至の日の入りの方角(真西から北に30°)
そして、それ以外にも位置関係について気づいたことがあります こちらは「中山神社編」の後に載せたいと思います(…でも都市伝説かもしれません…笑)
「中山神社(簸王子社)の参道(一の鳥居~二の鳥居)」
一の鳥居
参道は、境内前の二の鳥居から250mほどの長さがあります。
そして、「第二産業道路(県道1号線)」を挟んで、西側に一の鳥居があります
カーブミラーもありますし、もう少しきれいになるといいなと思います
参道
ヒノキの参道です 少しうっそうとした感じがします
でも、どこか懐かしい感じがします
あと、ここもトトロがいそう笑
二の鳥居
一の鳥居に比べると、格段に立派ですね
「しめ縄」が個性的ですね 蛇という感じがします
ちなみに、しめ縄は、出雲系の神社は「左が巻き始め」、伊勢系の神社は「右が巻き始め」になるようです
鳥居の左側の柱、「御朱印めぐり」のぼり旗の奥に見えるのが、上手舎です。
「中山神社(簸王子社)の境内」
参拝者は少ししか見かけませんでしたが、それでも田舎の方の神社に比べると、断然多いと思います
きれいにされていて、地区の方の熱心さが伝わります
「中山神社(簸王子社)の本殿」
創 建: 第10代 崇神天皇の
崇神天皇2年、BC96年
御祭神: 大己貴命(オオナムチ)
=大国主大神(オオクニヌシ)など多数の異名あり
国津神の主宰神
神 格: 国造りの神、農業神、薬神、禁厭の神など
奥に見えるのが、旧社殿
現本殿と旧社殿の屋根のソリ具合に注目です
「中山神社(簸王子社)の旧社殿」
建造年: 安土桃山時代と言われる
建築様式: 見世棚造と言われる屋根のソリ具合が特徴
現在は屋根が反り上げる流造が主流
看板が西日で見えづらくてすいません
本殿、旧社殿まで見てきました
次回は、摂末社を見ていきましょう
特徴的な摂末社があるかもしれませんね
それではお楽しみに