前回まで「氷川女体神社」の本殿、摂末社、「磐船祭祭祀遺跡」、そして現在の見沼田んぼに整備された「芝川第一調節池」を見てきました飛び出すハート

 

 今回はもう少し「氷川女体神社」周辺の遺跡や歴史・文化財を見て、氷川三社の三社目「中山神社(簸王子社)」に移りたいと思います 氷川神社の成り立ちはわかるのでしょうか爆笑 それでは見ていきましょうびっくりマーク

 

 

 「見沼田んぼの歴史」 

 

 まずは、見沼田んぼの歴史を簡単に見ていきましょうにっこり

 以下によると、氷川三社周辺が、太古から常に水と隣り合わせの地域だったことが伺えます無気力

 

 ※さいたま市「見沼田んぼのホームページ」を引用しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上、さいたま市ホームページより引用しました。

 

 

 

 

 「見沼田んぼの田園風景」 

 

 
 

 
 

 

 

 首都圏にこのような田園風景が残されているとは凄いですねニコニコ

 キジなんて田舎でもなかなか見られないですよよだれ

 

 

 「見沼通船堀」 

 

 

 
 

 
 

 

 

 国指定史跡「見沼通船堀」

 1731年(享保16年)に完成した閘門式運河(こうもんしきうんが)

 日本最古の閘門式運河と言われる無気力

 

 平成18年3月17日(金)メキシコ市で開催された「第4回世界水フォ-ラム全体会合における皇太子殿下(※現天皇)基調講演」の内容は以下に掲載されています。

 

平成18年2月「見沼通船堀一の関をご視察になる皇太子殿下」宮内庁

 

 

 

 

 「水神社」※江戸時代の「八丁堤」付近に鎮座 

 

 
 

 

 

 「水神社」享保17年(1732年)創建

 御祭神: 罔象姫命(罔象女神?(ミジハノメ))

 神 格: 水神

 

 物資輸送の要所で、水難事故防止を祈願して祀ったと伝えられます無気力

 やはり太古も近世も「水」が関わっていますね無気力

 

 

 

 「馬場小室山遺跡」 

 

 氷川女体神社のすぐ近くに、考古学的価値の高い遺跡があることがわかります無気力

 太古から重要な土地であったことが伺えますニコニコ

 

 ※以下、さいたま市ホームページより引用しています。

 

 

 「馬場小室山遺跡(現地写真・平面図・断面図)」

 ※さいたま市ホームページより引用しています。

 

 

リーフレット「馬場小室山遺跡」さいたま市教育委員会

 

 

 さいたま市ホームページの一部をご紹介します

  ー 立地 ー 

 馬場小室山遺跡では縄文時代の早期から晩期まで、各時期にわたって生活が営まれましたが、 中でも後期と晩期には、窪地を中心とした範囲にきわめて密度の濃い遺跡が形成されました。この時期の関東地方では、「安行式(あんぎょうしき)」と呼ばれる土器を指標とする、特徴的な文化が形成されました。大宮台地は「安行式」の中心的な地域でした。

  ー 特徴 ー 

 豊かな内容をもつこの遺跡の中で、際だった特徴となるのは、窪地を中心とした顕著な高まりがあること、遺物を含む土層(遺物包含層)が累積していること、そこに形成された生活の痕跡(遺構)がおびただしく重なり合っていること、そして膨大かつ多様な遺物が出土することです。遺物は、生活・生業に関わる多種多様な土器類、石斧・石鏃・磨石・石皿の石器類のほか、信仰・祭祀に関連する土版・土偶、独鈷石・石棒・石剣、装身具の土製耳飾り、石製垂飾・勾玉などがあります。

 

 以上、さいたま市ホームページより引用しました。

 

 「信仰・祭祀」に使用された出土品の種類もポイントになりそうですね無気力

 そして、祭祀に使われたと言われる出土物を見てみましょうにっこり

 

 「土偶装飾土器」

 ※さいたま市教育委員会より引用

 

 「人面画土器」

 ※さいたま市教育委員会より引用

 おぉーーミステリー煽り

 

 そして、なんと言っても縄文時代と命名された「縄模様」がしっかりと入っていますにっこり 縄は「麻(大麻)」が多く使用され、また「伊勢神宮の神札(神棚のど真ん中に鎮座する天照大御神と書かれた札)=大麻(たいま)と呼ばれる。」の由来でもあり、「しめ縄」や「大麻(おおぬさ)」など神事に「麻」は欠かせない植物のようです無気力 ここも氷川神社の謎を解く大きなポイントかもしれないですね驚き

 

 ※ちなみに、麻薬として指定されている「大麻」もこの大麻草を陶酔成分の濃度を上げて樹脂化・液化したもののようです。違法ですので絶対に使用は避けましょう。

 

 上記の2点は埼玉県有形文化財(考古資料)に指定

 「人面画土器」は、平成21年に英国の大英博物館で開催された「THE POWER OF DOGUU」展でも展示され、海外にも紹介されたようです驚き

 太古のロマンを感じますニコニコ

 

  ー 氷川女体神社との位置関係及び平面図・断面図 ー 

 地理院地図(電子国土Web)及び同ツールの断面作成機能を基に加工して作成

 

 

 

 

  「縄文海進の様子」 

 地理院地図(電子国土Web)の識別標高図を基に作成

 

 縄文時代はBC14,000年頃(16,000年前頃)年頃からBC1,000年頃(2,000年前頃)とされています。

 縄文海進は、最終氷期の最寒冷期後BC21,000年頃(19,000年前頃)から始まった温暖化にともなう海水準上昇を指します。日本では縄文時代の始まりBC14,000年頃(16,000年前)で、海水準上昇は氷河期最寒冷期に対して約120メートルにおよんだとされています(年速1~2cm)。海面上昇は、ピーク時であるBC4,500年頃~BC4,000年頃(6,500年頃~6,000年前頃)まで上昇が続いたとされ、ピーク時の気候は現在より平均気温が1~2℃高かったとされています。(そうすると、現在の温暖化が続くと、5千年後には縄文海進時と同じような海水面になっていそうですね驚き

 

 

 

 

  「関東地方の貝塚の分布」 

 

 以下のホームページに、関東地方の貝塚の分布が示されていますニヤリ無気力

 これによると、当時の海岸沿いに多く分布していることがよくわかります驚き そして、東京湾岸が特に多いことから、その分人口も多かったのではないでしょうか無気力

 しかし、縄文後期~晩期(BC1,000年頃(3,000年前頃))には、貝塚数が減っているようです驚き 何か理由があるのでしょうね爆笑

 

 

 

 

 

 

  「日本全国の遺跡の分布」 

 

 以下のブログに、日本全国の旧石器時代(~BC14,000年頃(16,000年前頃))~古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の遺跡や貝塚、集落跡、古墳の数が整理されています煽り

 有史以前の古代においては、東日本地域が繁栄していたことが伺えます驚き

 そこには理由があるのでしょうね無気力 こちらも今後探っていきましょうニコニコ

 

 

 

 「氷川女体神社編」いかがでしたでしょうかニコニコ(だいぶワケがわからなくなりつつあるかもしれません笑ニコニコ 頑張りますよ笑ふとん1

 

 そして、次回からいよいよ氷川三社最後の「中山神社(簸王子社)」を見ていきましょうびっくりマーク

 それではお楽しみに飛び出すハート