※ 「吉見百穴(よしみひゃくあな)」です
吉見百穴へ行って来ました。
吉見百穴(よしみひゃくあな)は、埼玉県比企郡吉見町にある、
古墳時代後期(6c~7c)の横穴墓群の遺跡です。
凝灰質砂岩の岩山に横穴を掘って、古墳と同様の台座を作り棺を安置しました。
台座は複数個設けられ、横穴の入り口は、
緑泥石片岩の板状の蓋で閉じられていました。
石蓋は開閉可能な事から、追葬により家族単位で葬られたと考えられています。
副葬品として須恵器、勾玉、管玉、耳環、直刀、鉄鏃等が出土し、台座状の構造や壁画など、大型古墳の石室と良く似た特徴がみられます。
大型古墳造営が終焉を迎え「薄葬令」が出された時期(大化2年・646年)と、横穴建設が盛んになった時期がほぼ一致します
太平洋戦争中、横穴墓群のある岩山の地下に、中島飛行機の地下軍需工場を建設するため、大きなトンネル(直径3mほど)が碁盤の目状に掘られました。
しかし完成を待たず終戦となったため、本格稼働する事はありませんでした。
↓↓横穴の中には複数の台座があり、家族単位で葬られたと考えられます
↓↓太平洋戦争中、横穴墓群のある岩山の地下に、中島飛行機の地下軍需工場を建設するため、大きなトンネル(直径3mほど)が碁盤の目状に掘られました。
↓↓今は中に入る事は出来ません
↓↓現在219基の横穴墓が 確認されています