ロダンの「考える人」って自身が悩める人ではなくて、地獄門の上に座り、頬杖をしながら地獄に堕ちた人々を見つめているという説もあったらしい。

 

                

 

ある哲学サイトで知り合った求道者(原始仏典を全て精読している在家の仏教徒)から教えてもらった。

 

最近のニュースやそれを報道するマスゴミ(巨大ゴミ)も、そのゴミにたかってブンブン言ってるXをはじめとしたSNSを見るにつけ、ロダンの考える人を思い浮かべてしまったらしい。。。

 

ニュースもそれを報道するマスゴミ(巨大ゴミ)も、そのゴミにたかってブンブン言ってる状況のなんと浅ましいことか。

それを上から眺める「考える人」

 

哀れと考えているのか、人間とは浅ましいものだなぁ~と嘆いているのか、その有様はどうしたものかと思案しているか。。。etc

 

そういう市場のハエ(※ニーチェ用語)どもと一線を画す存在でいたいものだとつくづく思った。

 

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※市場のハエ

俗世間(市場)にいる最も一般的な民衆のことであり、賤民的かつ近代的、卑小にして憐れむべき者たち。高等な人間たちにたかり、その血を欲するため煩わしいだけの存在である。彼らは高等な人間たちを神仏に追従するかの如く賞賛したり、その臆病さのために愛嬌を羽音の唸りの如くふりまく。やがて彼らは、高等な人間たちの前で己の卑小さを感じ、軽蔑されているかのように考えるにいたる。挙句の果てに、彼らの有する低劣さから軽蔑に対抗するため、復讐という名の毒を撒き散らすのだ。一匹づつハエどもを叩き潰すには、あまりにもその数が多過ぎる。高等な人間たちにすり寄る隣人は毒バエであり、ツァラトゥストラは孤独の中に逃れることを説く。高等な人間たちはハエ叩きとなる運命にない。孤独という荒々しい強風のもとでは卑小なるハエはすり寄ることさえできない。そのような場所へ一時退避することを勧める。