民主主義が我田引水や近視眼的な(近しいものや直近のことを重要視する視点)大衆を取り込むことによって政権維持が可能となり、そういう欲望や煩悩を満たすための政策が主となるような社会であるとするなら、政治家は地位や名誉や金を得る、言い換えれば同じく自身の欲望や煩悩を満たす職業として成立し、同様に欲望や煩悩に塗れた支持者との相性もいいだろう。

本来、政治や政策は現在の弱者や、子や孫の将来のためにあるべきではないのか?
これらの政策は我田引水や近視眼的な大衆からは支持を得られず、受けも悪い。

一方で無私無欲なボランティア活動をする人たちもいるし、他者を敬い且つ利他的な国民性もある。
一体、どちらがマジョリテイーなのか?それとも一個人の内にも混在しているのだろうか?

民主主義の明暗、どちらが勝るかは支持者の嗜好を象徴している。
投票率からしてサイレントマジョリティーの民意が反映されていない現実はあるように思う。

 

独裁国家や専制政治の危険性やデメリットは多いが、ニーチェが提唱したような精神的貴族による君主政治が実現する日は永遠にこないような気はする。