原始仏典、大パリニッバーナ経〔大般涅槃経〕で釈尊はアーナンダに『この世で自らを洲とし、自らを拠り所として、他人を拠り所とせず、法を洲とし、法を拠り所として、他のものを拠り所せずにあれ(自洲・法洲または自灯明・法灯明)』との遺言を残した。

 

 

大乗経典(維摩経)では法四依のひとつとして「依法不依人(法に依りて人に依らざれ)」と説かれている。

 

釈尊が説いた法(初転法輪で説いた中道、四諦、八正道や原始仏典「スッタニパータ」や「ダンマパダ」などなど)と自らに備わっている仏性を拠り所としなさいということ。

 

ほとんどの宗教はトップを神格化したり崇拝対象にしたりする。

仏教も例に洩れず大乗仏教に至っては人間釈尊が神格化されていった。

法華経では最大限に神格化(ダルマ化)がすすみ、釈尊の背後に久遠実成仏まで想定するようになる。

 

大方の新興宗教のトップは尊敬を超えて奉られ崇拝対象にさえなってる。

浄財と称して信者から巻き上げた金で、必要以上に豪華豪勢な衣食住に浸り、脂ぎった上に太っているが、こういうトップは聖人とはかけ離れているし、こんな人物が教祖として君臨している宗教団体は大概がカルトかカルトまがいと見て間違いない。

 

少なくとも仏教系の宗教団体で教祖が崇められてるようなところは外道(非仏という六師外道の意)でしかない。