道元禅師は悟りが言語化不可能(不立文字)であることを当然達観していた。悟りそのもの(勝義諦)は知識ではないし、むしろ知識は悟りの妨げになる。

 

悟り(見性体験)とともに体得する仏智は世俗諦であり、釈尊の言葉が直接伝えられていると言われる初期仏典(スッタニパータ、ダンマパダ、ウダーナヴァルガ、大パリニッバーナ経等々)や初転法輪で説かれたとされる四諦八正道や中道は世俗諦に当

たる。

 

 

日本に伝来した大乗仏教は玄奘三蔵こと三蔵法師が命がけで16年かけてインドに出向き持ち帰り翻訳した650部以上の大乗仏典や、八宗の祖と呼ばれるナーガールジュナ(龍樹)の中論などの論書であった。これらの仏典や論書は釈尊の死後400~500年後に成立しており、仏弟子や後世の高僧による修行と学究の成果としてまとめられたり創作されたものであって、釈尊の直伝ではない。

 

真言宗は金剛頂経や理趣経、浄土宗&浄土真宗は浄土三部経(これに加えて浄土真宗は親鸞聖人の歎異抄や蓮如上人の御文)、日蓮宗は法華経(これに加えて日蓮聖人が残した御遺文)、華厳宗は華厳経、複数の宗派に共通する般若心経等々、これらは全て大乗仏典や論書であり、檀家制度を元にした伝統仏教の大方の僧侶は自身の宗派の根本経典くらいしか読んでいないし、読解よりも読誦が主となっており、葬式や法事で語る法話マニュアルまであるらしいw

 

勝義諦をあえて言語化すれば、実相はあるがまま(諸法実相)であり、これ以上疑うことができない実在そのもの、且つ事事無礙(現象世界のすべてのものごとが相互に関連・融合しており自他も含めた境界がない)であり、一即一切一切即一やアドバイタ、言い換えれば通常の主客対立にとらわれた見方を超えた達観であること、見性体験の主体は個ではなく時空(時間的且つ空間的な全体性)そのものであること。私と言う主体が消失すれば(幻想であると達観すれば)同時に「私の苦しみ」も消失し無余依涅槃に至る。

 

釈尊が悟りによって体得した仏智(世俗諦)は、今まさに苦悩とともに生きている衆生に対して説いたものであり、死者への弔いとして読誦するものではない。

 

勝義諦と世俗諦を、あくまでも例えとして言うならば、暗黙知と形式知のようなものである。職人技や自転車の乗り方などは暗黙知であり、言葉としてマニュアル化できないからこそ師匠は弟子に見て真似しながら(学ぶの語源は真似るとのこと)自身で反復し覚えろと言語外に教える。自転車の乗り方のマニュアル本をいくら読んでも自転車に乗れないのと同じ。一方、レシピやマナーなどマニュアル化できる知識は形式知と呼ばれる。

 

暗黙知には完成形がない。磨けば磨くほど技が輝くように、禅定をはじめとした仏修行もこれに同じ。人間は仏性の原石であり、存在そのものが仏(一切衆生悉有仏性)ではあるが磨かなければ輝かない。また悟りを開いても(底が抜ける、眼が開く)それで終わりではなく、磨き続けなければ日常生活で汚れた仏性はくすむらしい。毎日、風呂に入らなければ身体が汚れるように、仏性も磨き続けなければ輝かないし、悟りを開いた後の悟りを忘れる(固執しない)ための修行の方が難しいとのこと。漸悟(ゆっくり悟りに至る)と頓悟(すばやく悟りに至る)の違いはあっても修行には終わりがなく、釈尊も生涯坐っていたことを考えれば悟り(見性体験)がゴールではないことは明らか。

 

言葉でいくら諸法実相や諸法無我、アドヴァイタや事事無礙、自他の境界が消失した全体性などと言ったところで、これを体得(実体験)しなければ悟ったことにはならない。勝義諦は境地、涅槃寂静(煩悩の炎の吹き消された悟りの世界)であり、世俗諦は菩提(正覚の智)である。

 

ちなみに道元禅師の只管打座は「一寸坐れば一寸の仏」と同じく、修証一等(覚者からすればもともと仏である者が坐っており、修行と悟りも境界があるわけではなく、実践と実践の成果は一つで等しいという意味)と同義である。