NHK Eテレ 4月8日 22:25から放送
『100分de 名著 ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考/哲学探究』
第1回 言語の限界はどこにある?
第2回 言葉を話すことはゲームをすること?
第3回 生成AIは言葉を理解しているのか
第4回 心はどこにある?
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ウィーン学団による論理実証主義の先がけとして哲学界や科学哲学界に革命をもたらした20世紀の大天才の一人。
言語論や独我論、自我の問題に関しては『論理哲学論考』と『哲学探究』は外せないし、死後75年経った今でもこの2冊の著書に関しての解釈は定まっておらず、哲学者やウィトゲンシュタイン研究者の間でも議論が絶えない。
ウィトゲンシュタインが自ら出版したのは上記の2冊だけであるにも関わらず、彼の残した講義ノート(青色本・茶色本)や遺稿、下書きやメモ書きなどが大修館書店からウィトゲンシュタイン全集として10巻にまとめられている。
大学時代は20世紀を代表する二人の天才数学者でもあるバートランド・ラッセルやゴットロープ・フレーゲのもとで『数学基礎論』や『数理論理学』を学び哲学とは無縁であった異色の経歴の持ち主。
個人的には生成AIはネット検索によって言語ゲーム上の新たな語用には対応可能なプレーヤーにはなりえるが、新たな語用をつくりたすプレーヤーにはなりえないと考えている。
ディープラーニングは決められたルールに従って学習していく方法であり、これまで使用されたことのない文脈で従来の意味とは全く違った語用というのはアルゴリズム上では扱えない。
例えば仏教用語によくある「我慢」「無学」「無分別」のように本来の肯定的な(あるいは否定的または批判的な)意味から正反対の意味になるような使い方の変遷をたどる言語ゲームにAIはついていけないだろう。
これらの言語ゲームをなしえるのが“心”の存在であり、“心”の形成に「〈私〉の存在」は必須条件だと確信しているからで、AIには(身体性を有する人間の)心や自我は生じないというのが現段階での個人的帰結であるが、第3回~4回はウィトゲンシュタインのなした仕事が現代のAIと言語、心の本質や自我、独我論をも凌駕するテーマであることが示され、これを取り上げた今回の番組やテキストは興味深い。






