4月放送予定「100分de 名著 ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考/哲学探究」

 

第1回 言語の限界はどこにある?
第2回 言葉を話すことはゲームをすること?
第3回 生成AIは言葉を理解しているのか
第4回 心はどこにある?

 

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上記を購読、視聴する前の個人的な覚書

 

・ネット検索によって言語ゲーム(ウィトゲンシュタイン)上の新たな語用には対応可能なプレーヤーにはなりえるが、新たな語用をつくりたすプレーヤーにはなりえない。何故なら後者をなしえるのが“心”の存在であり、“心”の形成に「〈私〉の存在」は必須条件であるから。

・〈私〉が存在することは汎用性があるが、〈私〉の存在自体は汎用性がないことがその本質である。

・輪廻転生を肯定するならばその主体たる〈私〉の存在は認めざるをえない。その意味において〈私〉は阿頼耶識あるいは阿摩羅識と置き代えれるが汎用性がない阿頼耶識あるいは阿摩羅識である。

・〈私〉の存在が特異点であるのは「そこから世界が開かれている」ことや「現時点の物理学が通用しない地点」であること、汎用性がない地点であるということ。前者はビッグバン宇宙論の特異点と共通するが後者は相容れない。

・科学の対象である自然の斉一性や汎用性、再現性の網の目からすり抜けるのが〈私〉の存在の本質であることからして、〈私〉は物理的現象には還元されえない。この延長線上に現に今ここにある〈私〉の存在は〈魂〉の存在証明となりえるのではないか?

今回、自民党が大勝したのはマスゴミがよく使う“風”とか“旋風”なんて一時的なもんやないで。

 

高市は総裁選に出馬する以前から自身の国家観を明確に表明し、目指したい国のあり方をずっと主張してた。

 

前々回の総裁選でも党員党友投票ではトップだったにもかかわらず、媚中や媚韓、護憲派議員や公明党との選挙協力で当選を目指す屁たれ議員によって阻止された。

 

今回の自民大勝の一番の原因は、中改連の足し算しか知らない選挙目当ての野合失敗でもなく、高市批判を主とした左翼系政党の戦略ミスでもなく、無党派層という大きな山が動いたということ。

 

今回の選挙で大敗したのは中道だけではない。

せっせと高市下げをやってたオールドメディアが予測通り完敗した。

兵庫県知事選が分水嶺となり、前橋市長選、今回の総選挙とこれで3連敗やな(笑)。

 

オールドメディアとネットの最大の違いは、前者が一方的な情報発信であるのに対して、後者はインタラクティブだということ。

 

くだらない意見はネットでは炎上するし、フェイクも見破られる。情報を取りに行くネット民はメディアリテラシーに長けているし、どっからでも情報を拾ってきては矛盾を追及したり糾弾する。

 

玉石混淆なのはネットもオールドメディアも同じ。

自分たちの誤情報発信や偏向報道を棚上げして、ネットによるデマやフェイク画像の拡散の危うさのみを訴えるアホコメンテーターはネット民や国民をなめすぎとるやろ。

 

偏向報道やこれに便乗する御用学者、頭お花畑の左翼系コメンテーターやMC、番組に使われたいために忖度発言をし続けるアホタレントなどなど一方的な情報を垂れ流すマスゴミに未来はない。

 

オールドメディアでは盛んに「分断」とか「対立」って言葉が用いられるが、そんなもんは言葉のチョイスの問題でしかないやろ。意見の相違があることは当たり前。それが表立たないのは独裁国家。意見の相違を認めつつも感情的な対立にしないということが重要なんとちゃうか?

 

日本人としての本来の美徳のひとつでもある寛容の精神でもって意見の相違は“Agree to disagree”あるいは止揚されなくてはならない。

 

結論から言えばこの国の無党派層はマスゴミとそれにたかるブンブン五月蠅いハエみたいなアホコメンテーターに巻かれるほど馬鹿ではないし、偏向報道に左右されるような畜群(ニーチェによる哲学用語:ボーカルマイノリティに盲目的に追従する確たる自己を持たない弱者の群れ)ではないというこっちゃ。

いつまでたっても現状維持で進化しないオールドメディアに未来はない。

PS.ちなみに300議席以上の自民党の圧勝を予測していた唯一のメディアは選挙ドットコムだった(306議席予測)。

 

 

 

 

自民&維新で2/3まで確保して憲法改正も実現してもらいたい。
高市は歴史に残る首相になる。

 

マスゴミは「高市旋風」とか「風が吹いてる」みたいな話しかしないが、ほんまアホ丸出し。
前々回の総裁選から自民党員は高市を支持してたし、わしみたいな無党派層も高市を支持してた。

支持する理由は高市の目指す国家観であり、人柄も含めた政治姿勢や志であって風やブームや雰囲気で推してるミーハー的な感覚からではない。
 

そういう分析をするテレビ局員やコメンテーターは皆無。
ちょっとばかりマシなんは読売の高岡さんぐらいかな。

 

ほんまにマスゴミとアホコメンテーターは国民やネット民をなめとるし、情勢を読めてない。

言ってみれば今回の負け組である立憲や公明、れいわや社民、共産やついでに国民民主と同じ。

 

呆れるばかりやし、おそらく選挙特番もそういうノリでやるんやろ。

マスゴミもそろそろどこか独自性とか差別化をはからないと生き残れないみたいな危機感から進化するとこと出てこんか?

 

恐怖は可能性の芽を摘む。

蛸壺にへばりついたタコは蛸壺が船上に引き上げる際、揺れれば揺れるほど恐怖で壺により強くへばりつくらしい。

壺から出て海中に逃れれば船上に引き上げられることもないのに。

 

恐怖に怯えてへばりつくタコを壺から出させるには真水を頭からぶっかける。

恐怖以上の死に直結するショックでもってようやくズルズルと壺から這い出るらしい。

 

考えたら自民党国会議員も長い間馬鹿丸出しというか、媚中、媚韓、財務真理教の馬鹿どもが幅をきかせて、まともな議員が抑えこまれてた。石破左派政権を支持しなかった自民党員や党友、自民から離れた保守層がいかに健全かつ賢明かということやわ。

 

マスゴミ(オールドメディア)は蛸壺の中で絶滅するのかな?w

2025年6月、日本ABC協会による全国紙の公称発行部数

 

読売新聞: 5,442,550部(▲413,770部)

朝日新聞: 3,234,313部(▲156,690部)

毎日新聞: 1,213,572部(▲285,999部)

日経新聞: 1,288,439部(▲  86,975部)

産経新聞:    798,252部(▲   51,539部)

合    計:11,977,126部(▲994,973部)

 

毎日の部数と激減数がえぐい!

あと4.2年で部数がゼロになる。

宅配制度が崩壊すればもっと早まる。

 

かつては反体制のメディアがあるのは社会の健全性の指標ではあったが、反体制を飛び越えて反日メディアの存在は平和ボケの象徴でもある。

 

環境が変われば進化(適応)できない生物が絶滅するようにメディアも淘汰される。いつまで経っても変われない体質。
プライド(見栄)だけ高くジャーナリズムの欠片もないサラリーマン集団が集う腐りかけた企業に優秀な人材が集まるわけないわな。

選挙情報で最も参考にしたメディア(世代別)UMK調べ

 

60代は60%が新聞、テレビとYouTubeがともに17%づつ?

要するにオールドメディアが80%?なんてことあるか?

 

しかもこの表なんで100%を6分割してるん?

で、ネっとはSNSでもなくYouTubeに限定してるし。

 

よく見たら宮崎市の在住有権者30人を対象とした調査やって(笑)。

ひと世代6人かい。もっと調査せんかい!っちゅ~ねん。

これをテレビ番組でも紹介してるし。。。

 

嘘やろこのデータ。

わしゃ60代後半やけどテレビや新聞(ネットを通して見るだけ)なんて1ミリも参考にしてないけどね(笑)。

 

どっちゃにしても全新聞の発行部数は2025年10月時点で約2,487万部で、2000年の約5,370万部からほぼ半減してるみたいやね。

前年から174万部減らしい。あと14年でゼロまたは死亡による減、宅配制度が維持できなくなる部数まで減ることを考えれば新聞の余命は10年くらいかな。

今時、駅の売店やコンビニで新聞なんて買う人おらへんし(笑)。

 

めでたし、めでたし。

 

この歳になってつくづく思うのは、やっぱ「持つべきものは友」と「類は友を呼ぶ」ということ。友は人生の金では買えない宝だと思う反面、友を選ぶ必要もある。

 

歳をとると頑固頑迷になる人も多い。

間違っていてもそれを認めず強弁や詭弁を弄したり、保身に走ったり、自分の非を認めず謝らないヤツも結構いる。

 

自分の経験を重視するあまりか、それとも人によっては社会的な地位やプライド(というより見栄)のためか。

そういうジジババは老害の最たるもんやし、アホコメンテーターや政治家の多くが(全員とは言わないが)上記のような歳とともに腐りつつある 人間。

 

いくつになっても自分の非は認め、必要な時には相手に素直に謝る。間違いを認めて訂正、または前言を撤回する。こういうことをできる人を私は尊敬するし、こういうことをできない人とは付き合いたくないし軽蔑する。

それこそ、この歳になってまで無理して付き合う必要なんてないからね。

友達も断捨離の対象やろw

 

歳をとるということは死ぬまで(精神的に)成長することでもあるし、逆に思考停止になり肉体と同じく精神的にも退化していくこともある。精神年齢の若さとは「謙虚さ」と「好奇心」と「行動力」ではないか?以前に成長の3Kと名づけたことあった要素がイコール精神的な若さを保つエキスではないか?いくつになっての知らないことを知るのは楽しいし、知的な刺激は心地よい。

そういう意味では私は友に恵まれてて感謝かな。。。

 

ヨメハンからは「あんたの友達は偉い!」と言われ、友人からは「あんたの奥さんは偉い!」と言われ続けてるのが気になるけど。

わしゃ、どんな人間やねん!!(爆)

今回もオールドメディアという名のマスゴミとそれにたかる局や番組の意向をくんで発言するアホコメンテーターや御用学者、美辞麗句が好きな左翼系似非知識人vsネットとネット民の戦いになると思う。

 

兵庫知事選が分水嶺となり前橋市長選の前職圧勝再選からして、既にマスゴミとそれにたかるハエの影響力はほぼなくなったと言えるけど、今回の選挙でとどめを刺せるかがこの国と国民の将来を決めるんとちゃうかな。

 

オールドメディアに依存しているのは思考停止してるオールド人だけ。

 

テレビや新聞の時代は終わる。かつてマス四媒体と呼ばれたマスゴミの広告収入は四つまとめてもネットにかなわないから、マスゴミを生かし続けている血流量からして淘汰されていくやろ。

 

めでたし、めでたし♪

 

中道ってもともとは仏教用語やで。どこか中道やねん、って話。

 

中道とか改革とか耳障りのええ言葉をラベリングするのは美辞麗句(仏教で言うところの十悪のひとつである綺語)ばかり並べる二党に共通するわな。

 

国民を馬鹿にするのも大概にしいや。

 

まぁ公明党の支持母体である創価学会が日蓮本仏論の富士門流やから、仏教の根本教義のひとつでもある中道から離れてても自覚できんわな。

 

池田大作の中道人間主義から取ったみたいやけど、そんなものは仏教の根本教義である中道とは似ても似つかないことは追記しておく。不二の法門から取った師弟不二と同じでもともとの意味と全然ちゃうで。

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ソーナよ。 汝はどう思うか? もし何時の琴の弦が張りすぎていたならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきをはっするであろうか?

   

尊い方よ。そうではありません。    

 

汝はどう思うか? もしも汝の琴の弦が緩やかすぎたならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?

 

そうではありません。   

 

汝はどう思うか? もしも汝の琴の弦が張りすぎてもいないし、緩やかすぎてもいないで、平等な(正しい)度合いを保っているならば、そのとき琴は音声にこころよく、妙なるひびきを発するであろうか?

 

さようでございます。

    

それと同様に、あまりに緊張して努力しすぎるならば、こころが昂ぶることになり、また努力しないであまりにもだらけているならば怠惰となる。 それ故に汝は平等な(釣り合いのとれた)努力をせよ。 諸の器官の平等なありさまに達せよ。

 

原始仏典「パーリ律蔵 大品(マハーヴァッガ)」よりの引用

 

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中村元博士の見解によれば「箜篌(vina:くご)の喩」は後に創作されたエピソードとされているが、意味内容からすれば最も「中道」の原点に近い比喩であると思われる。

喩をもって釈尊から説法されているソーナとは、ソーナ・コーリヴィサ。

チャンパーの長者の子であり、アンガ王の領土における身分の高い侍従であったが、後に出家して仏弟子となった。

 

苦行の極限にあった釈尊は不健康な体では大悟に至らないことに気づき、苦行に見切りをつける。

スジャータから布施された乳粥で健康な体をとりもどし、肉体を否定するかのような苦行や肉体の欲するままに快楽を貪る生活、断見と常見、有と無など、両辺(両極)に偏った思考や修行では煩悩が滅するどころか増大しかねず、大悟に至らないことを知った上で、菩提樹の下へと向かい7日間の瞑想の末に成道する。

 

子育ても過保護でも放任し過ぎても子どもにとってはプラスにならない。身体の免疫機能も本来は外敵に対する抵抗力で自己を守るためだが過敏になり過ぎると本来は攻撃しなくてもよい自己まで害してしまう。自己反省もこれに同じで適度なものであれば自己成長の糧となるがこれが過ぎると自己を委縮させたり自己嫌悪に陥ることがある。

 

どちら側にも偏り過ぎず中ごろの道がよいという教えである。

如来の目が薄目(半眼)であるのは中道を表しており、目に見えるものだけや、目に見えないものだけに固執してはならないということを象徴していると言われいる。

 

仏教の中道は現代においても、日常生活や自省、さまざまな岐路や決断に際して指針となる叡智である。

 

モンスターペアレントとか、カスタマーハラスメント、○○ハラスメント等々、続々と新語が登場するが、これらの呼称は様々なケースを十把一絡げにして事の本質を覆い隠してしまうという言語のデメリットも考慮する必要がある。

 

例えば学校の体裁や教師の面子を保つために我が子への“いじめ”を認めようとしない学校に怒鳴り込む親を“モンスターペアレント”という言葉で括り、加害者であるかもしれない学校側がまるで被害者であるかのようなすり替えの道具とするケースもあるだろうし、逆に“いじめ”というラベリングでもって集団生活上のルールを破ったり、道徳的に問題がある我が子を一方的な被害者として訴えている馬鹿親であったりもする。

 

メディアリテラシーは言うまでもないが、最近はマスゴミが発したり、新たな造語など、言語に関するリテラシーも重要だと思わせることが多々ある。

 

 

経済より大事なことがあるやろ。

 

人の道。

 

中国や北朝鮮のプロパガンダを見ていれば如何に幼稚な精神性であるのかよく分かる。

 

そういう国民と国のトップが世界を牛耳ればどうなるか明らかやん。

 

わしは命がけで後の世代のために戦う覚悟はあるで。