今日は雲がやや多めながらも晴れ。

 

いや~、ブログ書くの久しぶりです。

いろんなことがありすぎて、何を書けばいいのかあせるあせるあせる

 

 

今年は、新年早々大きな地震がありました。

多くの尊い命が失われました。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様には

心よりお見舞い申し上げます。

 

わが家は震源からかなり離れてはいるのですが、大きな被害が出ている

地域にあります。

自宅の横の畑(空き地)には亀裂が入り、家の基礎部分には隙間ができ、

軽度ではありますが家も傾くなどの被害が出ました。

 

畑の亀裂下矢印

奥の人物(次男)がちょうど坂を上がろうとしていますが、ここには

こんな坂なかったんです。

地面が沈下して段差が生じ、この亀裂ができました。

 

自宅の基礎にできた隙間下矢印

家の正面から右側全面、このような隙間ができています。

 

裏口下矢印

手前のコンクリートは2段ほどの階段で、もともとはドアの下の水色の

部分にくっついていたのですが、壁との間に隙間ができ、10㎝ほど沈下

しています。

 

これらの段差だったり、隙間は徐々に大きくなってきています。

今も徐々に地面の沈下は起こっているのかもしれません。

 

 

当時は余震も続いていて、このような状態の自宅にいるのが不安だった

のと、断水の復旧目途が経たないということで、2週間ほど義弟の家や

実家で避難生活を送っていました。

 

その間、アパートを探したりといろいろありましたが、応急危険度判定

でわが家は緑だったこと、幸いにも井戸水が通っていて生活用水は確保

できることから自宅で生活することにしました。

 

上水道は先月末に復旧しましたが、下水道はまだ復旧していないため、

お風呂は毎日、無料開放している近所の銭湯(温泉!)に行っています。

ただ、銭湯は夜9時半に閉まってしまうため、部活で帰って来るのが

9時半頃になってしまう長男は間に合わないので、長男だけ実家で居候

させてもらっています。

 

わが家は被害が小さい方なのですが、地域全体ではかなりの被害が出て

います。

今後この地域全体がどうなるのか決まっていないため、自宅を修理する

のか、別の地域に住み替えるかなど、先のことをまだ決められないで

います。

どうなるんだろう汗

 

 

能登半島地震があったからか、3.11が近くなったからなのか、最近

YouTubeのおすすめ動画に東日本大震災の津波の動画がよく表示され

るようになりました。

 

東日本大震災のあったあの日、テレビで目にした津波の映像の衝撃は

今も覚えています。

 

ネット上に津波の動画があることは知っていましたが、あまりにも多く

の命が犠牲となった災害であり、私は興味本位で見てはいけないものだ

と思い、これまでテレビで流れるものしか目にしてきませんでした。

 

今回能登半島地震を経験し、私の住む地域にも津波警報が出ていたこと

もあり、実際津波がどれほどのものなのか知る必要があるのではないか

と思い、先日初めてYouTubeにUPされている動画を見ました。

 

衝撃でした。

言葉を失いました。

そして、ものすごく怖いと思いました。

 

自然の驚異。

人間の無力感。

 

私は津波を甘く見ていたことを実感させられました。

 

これは、興味本位でもいいから見るべき、いや知るべきものだと思います。

この現実を知っているのと知らないのとでは、実際に災害に直面した時の

行動が全く変わるはずです。(と、今頃気づきました)

 

 

能登半島地震が起きた時、夫と次男と三男は能登方面(能登の入り口)に

釣りに行っていたんです。

 

昨年からわが家は釣りブームで、今年のお正月はお天気もよく穏やかだっ

たので、午後から急きょ『行くか!』となり、3人は出かけていきました。

 

釣り場は、昨年からよく行っていたところ。

だいたい、いつもこの写真の右側の堤防の先辺りで釣っているので、

その時もその辺りにいたのだと思います。

 

私は自宅でのんびりスイカゲームをしていました。

 

突然、ガタガタと揺れ『地震?』と言っている間に揺れは収まり、また

ゲームを続けようとした瞬間、テレビやスマホから緊急地震速報のアラ

ームが鳴り響きました。

 

そして大きな揺れ。

 

私と長男はダイニングテーブルの下に隠れました。

大きな揺れはなかなか収まりません。

『怖い、怖い』と言いながら、ふと釣りに行った3人のことを思い出し、

スマホを手にしていた長男に『電話してみて!』と。

幸いすぐに電話が繋がって、とりあえず無事を確認できました。

 

しばらく電話は繋いだままでいたのですが、夫の慌てぶりが凄くて。

私は、そこまで慌てなくてもと思っていました。

津波警報が出て、自宅にいた義両親と長男と私は、すぐに高台にある義弟

の家に避難しましたが、正直、津波も大したことないだろうって思って

いました。

 

だけど、今回YouTubeの動画を見て意識が変わりました。

その話を夫にしたら、夫は動画を見たことがあって津波の恐ろしさを知

っていたから、あの時は本当に怖かったし焦ったのだと言っていました。

 

知っているのと知らないのとでは、これほど意識の差が生まれるのですね。

 

 

3.11の時も、過去の映像が残っていて多くの人がそれを見れていたら

犠牲者はもっと少なかったのかもしれません。

あの時、あれほどの惨状となるとは誰も思っていなかったと思います。

 

昔は文字や絵、写真でしか残せなかった記録も、ケータイやスマホの普及

によって貴重な映像が多く後世に残せるようになりました。

これは後世にとってとてもよいことだと思います。

 

このような映像を見るのが辛い方ももちろんいらっしゃるでしょう。

ただ、年月が経てばそれらの震災を知らない世代が増え、危機感は薄れます。

実際、わが家の子どもたちも、長男、次男はまだ乳幼児だったし、三男は

まだ生まれていません。

 

震災に遭われた方が必死で残してくださったこの貴重な映像を、私たち

は教訓として生かしていかなくてはいけないと思います。

衝撃的で辛い動画ではありますが、わが家の子どもたちにも絶対に見せ

るべきだと思いました。

 

日本は災害の多い国です。

東日本大震災だけではなく、私が生きてきた半世紀近くだけでも大きな

災害がたくさん起こっています。

ですが、これまでは自分の身近には起こらないだろうと、どこかで甘く

考えていました。

 

今回震災を経験したことにより、災害はどこででも起こりうるということ

を痛感させられました。

 

東日本大震災からもうすぐ13年。

今年は子どもたちと真剣に話をしてみたいと思います。