エレカシ CD AL.『エレファントカシマシ 5』(1992.04.08発売) | エレファントカシマシ備忘録

エレファントカシマシ備忘録

エレファントカシマシのライブ、CD、テレビ、ラジオなどの記録

1992年4月8日に5th AL.『エレファントカシマシ 5』が発売された。
  


 
フォトグラファー:ハービー・山口
オルガン:細海魚(おれのともだち)
ストリングスアレンジメント/ヴィオラ:村山達哉(シャララ)
チェロ:四家卯大(シャララ)
バイオリン:竹内純(シャララ)
バイオリン:金原穂子(シャララ)
 
 
宮本は自分の歌う歌のまんまの生活を送る男である。本当に友達はいないし火鉢で冬を越す奴だ。前作『生活』でそれは究められた。あれは宮本浩次主演のノンフィクション映画そのものだった。あれを超えるともはや生活者として危険な領域に入ってしまう。
宮本は新作においてそのギリギリの表現にどう決着をつけているのか。
(「ロッキングオンジャパン」1992年3月 山崎洋一郎)
 
 
「美しいものを求めすぎるとね、貧乏になっちゃってさ。あと、弱いものを助けようっていったら共産党みたいになっちゃうしさ、かと言って天皇制とかもね、戦前みたいになっちゃっても困っちゃうしね」
 
「普通の歌でしょう、どう考えても。普通から逸脱してるっていうのはあなたが思ってるだけで、俺はぜんぜんそうは思わない。歌は歌だから。」
 
「本当は叫びたいところを、あえて引いてる。それはより楽しく、音楽として聞きやすいようにするためにそうしたんですけど」
 
(エレカシライブは他のロックコンサートと雰囲気が全然違うという話を受けて)
「俺たちの場合は総座りで、拍手パラパラっていうのがありますからね。結局同じじゃないですか」
「こういうもんだと思って見に来てる部分がある…いや、そんなことはないな…、けっこうみんな真剣に…聴いてると思います」
「コミュニケーションは…別に取ってないですね。何がコミュニケーションなんでしょう?」
 
(インタビュアーが他のアーティストのライブとは違うと何度も聞いてくる)
「だから同じこと聞くなよ。普通がどうとか普通じゃねぇとかってのはわからねぇっつってんだよ」
─だから質問変えたじゃない。
「コンサートなんてショーだろうが!そりゃそれぞれ人によって違いますよ。プリンスだったら踊りの好きな人が来たりとかさ、ミュージシャンの個性によって来る人が違うよ。だけどショーといえばショーだよ!」
(中略)
─だから、それがどうしてああいうふうな反応になって出てくるのかを聞きたいわけ。
「知らねえよ。…一生懸命聴いてるからじゃねえかぁ?」
 
「聴き手のことを考えた」と語る宮本だが、それが彼の表現のかたくなさを弱めているようには思えないし、彼自身がメダカ型社会に順応する気がないのは、インタビューでのやりとりから明らかだ。つまり日本の社会構造が変わりでもしない限り、彼らの存在は永遠にカルトなもので終わってしまう可能性がある。日本のロック状況を変えようなんてこれっぽっちも思ってないぼくは、それでも一向に構わないと思っているが。
(「MUSIC MAGAZINE」1992年5月 インタビュアー:小野島大)
 
 
 
 
 
 
 
宮本さんが大失恋して発売が延期になったのちに発売されたアルバムと知って、宮本さんって人間らしい人なんだなと思った記憶が。
若い時は自分のしんどさと重ね合わせて、もっと重く受け止めていた気がするけれど、今はサウンドや宮本さんの歌声がシンプルにかっこいいなぁと感じる。
聞いていると1999~2000年頃、当時一人暮らしをしていた自部屋や仕事帰りの電車を思い出す。