エレカシ テレビ トップランナー (NHK 1999.05.09) | エレファントカシマシ備忘録

エレファントカシマシ備忘録

エレファントカシマシのライブ、CD、テレビ、ラジオなどの記録

トップランナー (NHK 1999.05.09)

(宮本から登場。扉の前でクルっと一回転する。)

 

益子(以下M):「(笑)いきなり転んでませんでしたか?」

 

宮本(以下宮):「いや、あれね、段差があったもんですから。受け身をして入ろうと 思ったんですが、段差があったんで受け身ができなかったんです。すいません。」

 

大江(以下O):「我々からは死角になってるんで、何やってるのかなって・・」

 

宮:「あのー思ったこと・・やめときゃよかったなって。えぇ。」

 

O:「正座して聞いてます。というような・・」

 

M:「スピッツの草野正宗さんが。やはり同じミュージシャンからも、支持されてるって言うのは・・」

 

宮:「どーなんでしょうね、これわかんないですけどね、ま、あのほら非常にね、長いんですよ。 あのーだいたいあのーそうですね、ま、長いですからね。雑誌なんかに載ってる機会が多かった んですよ。だからみんなアマチュアんときなんか、年齢は変わんないですけどね。例えばその、 変わんないんだけど、ある世代の、要するに30前後くらいは、あの、まだあれありますよ。 知ってる人いますんで。自分で雑誌を見てる時に例えばその、ま、いんですけどもね。ま、だから、 いんじゃないですか?」

 

M:(笑)

宮:「要するにその、先行きましょう。」


BGM:今宵の月のように

(ナレ):97年、ドラマの主題歌、「今宵の月のように」で大ブレイクしたエレファントカシマシ。 ヴォーカル、宮本浩次の描くストレートで力強い歌の世界。早くからミュージシャンの間で一目置かれる存在だったエレカシは、この曲で一気に幅広い層から支持を得た。


M:「まずはメンバーの自己紹介を・・」

 

宮:「私が、あの~ヴォーカルとギターの担当の宮本です。はい。」

 

O:「宮本浩次さんです。あ、ほら拍手ー(と客に促す)」

 

石君:「ギターの石森です。」

 

成ちゃん:「ベースやっとります、高緑です。」

 

トミ:「ドラムの冨永です。」

 

M:「皆さん、同じ年なんですか?」

 

宮:「そうです。32ですけども、ま、そこまで聞いてない、あっそうか33になりましたね、 この前ね。はい。彼は4月でね、33になってますけども。」

 

M:「33」

 

宮:「ドラムのトミと、それから顔がこんな皺だらけになってますけども、ギターの石君と、そして僕と、同級生だったんですね。中一の。それで僕は非常にその、で成ちゃんとトミが高校時代の同級生。でま、非常にそのぉそういう関係ですね。ま、中一時代の仲間と高校時代の仲間でバンド組んでますよと、わかりますか?みなさん、ねっ。」

 

O:「要するに高緑さんが高校時代に後から入ったぞと。」

 

宮:「そうです。」

 

M:「実は、宮本さん、エレカシとしてデビューする前にも、レコードを出されているんですよね? 実はこちらなんです。NHKのみんなの歌。こちらをぱっと開けますと、こちら、『はじめての僕デス』宮本浩次。歌ってたんですね。」

 

宮:「そうです。これは僕ね、NHKのね、東京放送児童合唱団っていうのに入ってましてね、」

 

O:「ソロで。」

 

宮:「そう。そん時ね、山口さんちのツトム君っていって、これはまぁー皆さん知らないでしょう けどね、流行ったでしょ?すごく。それで、あれあれあれあの流行ってて、その後ね受けてね。」

 

M:「あ、でも有名な曲ですよね。」

 

宮:「そうです。みんなの歌で大評判でね。」

 

M:「知ってますよこれは。たぶんフルで歌えると思います。」

 

O:「どんな曲?」

 

M:「まぁレコード、聞いてみましょう。宮本さんが歌ってらっしゃる。」

 

♪はじめての僕デス♪

 

宮:「これ聞いてないですね、僕ね。ま、いんですけどね。驚きましたけども。ま、だけどこれ随分レコーディングいきましてね。方々へねぇ。まぁだけどこれ、今聞いてもこまっしゃくれた鼻につく声してるねっ。」

 

O:「~だいっ、っていうのが今をほうふつとさせるような。」

 

宮:「まぁね、ほんとにね、小生意気そうなね。ま、いんですけども、はい。 楽しんでいただけましたか?みなさん。」


BGM:やさしさ

(ナレ):アマチュア時代からコンテストなどで注目を浴びていたエレファントカシマシ。 二十歳を前にして、彼らはプロへと照準を合わせた。


BGM:星の砂

 

M:「デビュー前の写真ですよね。二十歳の頃だと思うんですが。」

 

O:「これ、高緑さん・・随分印象が・・」

 

(成ちゃん照れ笑い)

 

宮:「これはねー、なんかコンテストに出た時のね、集合写真ですよ。だからこれ、 まさにその成ちゃんが入ってすぐぐらい。じゅー八九じゃないですか。」 

 

M:「当時は、どんな音楽を」

 

宮:「我々4人ですか?我々4人になってからはねーオリジナルなんか、例えばデーデなんかねぇ。」

 

O:「もう当時・・」

 

宮:「(メンバーに)最初にやったのはあの辺の曲じゃないですか?やさしさとか、何しろそういう曲あるんですけどね、何しろ4人でやってく・・」

 

O:「宮本さんが曲書くのっていつぐらいからなんですか?」

 

宮:「これ随分早いですよ。高校1年くらいですかね。うん、随分早くねぇ。」

 

M:「デビューの切っ掛けっていうのは」

 

宮:「これやっぱ僕ら何しろコンテストにねぇ、よく出てたんですよ。あの、力試しで、やっぱ自分らのね、力試し。(石君に)そうですよね。ライブハウス出て」

 

O:「ポプコンでしょ?」

 

宮:「そう。そういうライブハウスでたりとか、もう一つはね登竜門として、皆に審査してもらう 場所としてね、広い会場でできるんですよ。コンテストっていうのは。中野サンプラザとかね、 そういう広い会場で。だからそういう所で力試しってんで、コンテストよく出てました。 コンテストで受かったんですよね。」

 

M:「かなり自信のほうはあったんですか?」

 

宮:「・・・・・・自信っていうかね、非常にやっぱ勢いがあったん・・成ちゃんがね何しろ入ってから、 4人になってから、まさにこのくらいからね、突如として、それまでコンテストなんて受かったことなかったんだけども、やっぱシャープになったんだろうね。突如として受かるようになったの。自信云々なんてのも非常に楽しんで、コンテスト・ライブハウス、 人集まる集まらない、逆に言うと何しろこれは甘い意味でもなんでもなくねぇ、みんなで 音出すのがほんと楽しかったですよね。えぇ。」


スタジオライブ 「デーデ」

(客と宮本の目線が同じ高さ。すごい迫力。)


宮:「ひじょーにね、僕ら10年か11年前にデビューしたんですけどね、何しろとんとん拍子で、 この4人になってからは。割とデビューまでは勢いでドーンっと行ってねぇ、だから非常にそういった部分で勢いがそのままね、その非常に知る人ぞ知る存在だったんだけども、10年ぐらい前ねぇ。ある種のセンセーションをね、一部の人間に巻き起こしたことは事実ですね。えぇ。あったと思います。だから勢いなんかがねぇ、僕らしか持っていない勢いなんかがあったと思う。いま考えるとね。当時はね。はい。」

 

M:「デビュー後の初のコンサートが、伝説になっているとお聞きしたんですけど・・」

 

O:「渋谷公会堂」

 

宮:「あっこれねぇ随分最初はねぇ、独特の特殊な売り出し方っていうんですかねぇ、いろいろあるでしょうけども、コンサートの会場、渋谷公会堂でね、客電が全部つきっぱなしでね、 全部明るいままなんですよ。だからこらぁねぇ、随分お客さんのほうも緊張感のある、まーだから当時はこぉやってこぉんなんでやってたでしょ?そうすっと、緊張感のある。 えぇ、やってたと思いますね、えぇ。」

 

O:「最初っから最後までずーっと客電ついたままで。」

 

宮:「そうです。」

 

O:「すべてのお客さんの顔がパァーン見えてる状態で。」

 

宮:「ああいうのがね、そのまま面白い形でね、非常にセンセーションを巻き起こしてね、 そのまま上昇に向かえばよかったんだけどね、その辺から徐々に下降に向かったっていうね、 そういう前歴もあります。まっ、非常にユニークで面白い存在だったと思います。 だからコンサートのスタイルとってみてもね。」

 

O:「自分達の好きなことやってるなっていう印象があるんですけど。」

 

宮:「これはね、ところがね、自分達がやりたいようにやるってのは一番難しいことでね、 今考えると自分達で思いっきりやりたいんだっていうのはあるんだけども、間接直接にね、 いろんな人たちの影響僕たち受けてたし、どうしてやってったらいんだろう、っていうね、 悩みの中でやっぱ常にあるんじゃないですか?そりゃ。えぇ。」


BGM:奴隷天国(野音の映像)

(ナレ):デヴュー以降、ラブソングは歌わず、己をさらけ出し、社会への怒りを真正面から 歌っていたエレファントカシマシ。自分達の音楽を追求するために、プロデュースも自らの手で行っていた。しかし、その激しい心の叫びは、当時の音楽シーンでは受け入れられなかった。頑なまでに自分達の世界にこだわった彼らのCDセールスは伸び悩み、 1994年、ついにレコード会社との契約が打ち切られる。


O:「宮本さんはどうだったんですか?作家としてはいいものを作っているという自信はあったんでしょ?」

 

宮:「・・これはね、例えば僕らその・・・あのー・・・・う・・・・・・・・・・ん、これは自分でいいもん作ってる かどうかっていったらね、人のせいにしてたと思いますよ。エピ、前のレコード会社の時なんかはね。自分でいいか悪いかってのはほんとは自分が一番よくわかるんですよ。ところがね、 それをね、人にね、どうなんだろう?って聞いちゃったりとかね。・・・そりゃぁきっと僕はどっかに隙があったと思いますね。だからそりゃいいものをもちろん作ってるんですよ。 ところがね・・・・・・難しいですよね。いいもの作るってのはなかなか。ま、だから自分で信じるしかないですよね。」

 

O:「自分でいいもの作ってるんだけども、どっかで自分を信じきれてない・・」

 

宮:「そうです。」

 

O:「契約が切られたってのはいつ・・・」

 

M:「94年ですよね。契約が打ち切られて・・しまったわけ・・で、これはやはり・・どうしようもないというか。」

 

宮:「あのね、僕ら、どうだかわかんない、まず一つはね、20代だったんですよ。28ぐらい。 27,8。それはまず、僕らいっくらでもまだバンドとして、よし!やるぞっ!って気持ちになった。ただいっちばんきつかったのはねぇ、もう結婚なんかしてるメンバーいましてねぇ、 要するにその、金がねぇ、これぁやっぱ困ります。生活のね。(石君の頬をつねる)僕なんか 非常に実家がそばでしたからね、家にね、ごはん食べに行っちゃったりとかしてたんですけどね。 みんなはどうやってたの?あん時ね。アルバイトしてたんだっけ?契約切れた時。」

 

石:「アルバイトしてました。」

 

M:「どういうアルバイトを。」

 

石:「あの、宅配の、お寿司やさんの。」

 

O:「デリバー」

 

宮:「首をねぇ、ぷるぷるしながら喋るの。たくはいのぉ~(石君を真似る)」

 

皆:(笑)

 

宮:「僕もね、さすがにあん時、収入なかったでしょ。家にけぇって飯食うの、さすがに親父のねぇお父さん、自分の父親の・・」

 

O:「自宅だったんですか?」

 

宮:「自宅に帰ってたんですよ、だから、ごはんだけ。僕は高校時代も大学時代もほっとんど アルバイトが長続きしませんでねぇ、・・でだからレコード屋さんでもお客さんきちゃうとこうしてすぐ頭ぐしゃぐしゃしてね、店長とケンカしてやめたとかね、まっそういうのあったもんですからね、でだからそれまでのねぇ、古本を売ったですよ。だから。 それとライブハウスでね、コンサートやるとね、下北沢ってところでね、あれは誰かが助けてもらってね、下北沢でコンサートやってたの。そうすっとね日銭っていうかね、 その日のうちにお金もらえんの。あれぁ嬉しかったですね。ま、そんなんだけど、 しみったれてるけどね。(立ち上がり声が大きく)また非常にね、しみったれてるとは いえね、非常に嬉しいもんなんですよ!だから・・」

 

O:「あっ質問。」

 

宮:「はい。」

 

O:「ということはお客さんは逆に契約は打ち切られてたけど、増えてたという・・」

 

宮:「これねぇ、あの増えたっていうか非常にね、ライブハウスでコンサートやるとね、 びっくりすることに100人、200人、300人のね、人が来てくれるんですよ!これぁ嬉しかったですよ。終わった後にライブハウスの外に出るとね、花束なんか渡されちゃったりなんかしてね。非常に新鮮な感じになれたのは事実ですね。デビューしてから僕らそんなライブハウスで直接的にお客さんと触れ合うって事がなかったですからね。」

 

O:「ヴォルテージが上がってきたんですか?」

 

宮:「これは間違いなくこれは私たちが、っていうか俺たちが私たちがね、一緒にそうなって 見てる!っていう、非常に躍動感をね、僕らの新曲を、まさに『悲しみの果て』なんていう曲はね、まさにそのライブハウスの見てくれるお客さんのために、何しろ毎回ね、1曲は新曲やろうよっていってね、それほどたくさんできたっていう、ま、ただ何しろ新曲1曲 やろうって努力して、ライブハウスでやるための曲を作ってた。」

 

O:「そうすると半月に1曲とか。」

 

宮:「そうです。なんとか頑張ってね。そうやって作った曲でした。」

 

M:「契約を打ち切られた時点でもっとバンドの結束が固くなったんじゃないですか?」

 

宮:「これねぇ、再確認できるっていうかね、非常にね、これは何とかしなきゃいけない、って思うんですよ。逃げ場がない。後ろが八方塞なんですよ!そうすっとね、逃避から喜びからすべてが音楽ってなったんだ、そん時は!だからバンドは盛り上がりましたね、そん時は。 切られた時っていうのはね。まぁだから要するにね、まだ終わってなかったんだよ。 さっきも言ったけど27,8でしょ?そうすっとね、まだまだね、あの、行けるんですよっ。 だから盛り上がっちゃうんだよね。‘だめだー’とか言われると逆にさ“なんだちくしょう、 ぶァー”みたいなさ。そういうとこだと思いますよ。どうでもいいんだ、理屈はね。でもま、一体感がそこに生まれてきたってのは事実としてあったですよ、これは。それを切っ掛けにしてね。」


BGM:おまえと突っ走る

(ナレ):原点に戻ってライブ活動を続け、確かな手応えを得ていたエレカシは、96年、 その音楽性の高さを認めた新たなレーベルと契約を結び、そしてアルバムを発表。 再デビューにかけた彼らは、初めて外からプロデューサーを呼んだ。そしてメディア への露出を増やすなど、新しいエレファントカシマシが誕生したのである。 そして彼らはこの曲で復活を遂げる。


スタジオライブ 「悲しみの果て」


O:「プロデュースを入れるっていうのは、変えるぞ!っていうことだったんですか?」

 

宮:「これはね、非常にそのバンドのプロデューサーっていうのはね、・・何しろ全部がねさっきも言ったように、全部がね、要するに契約も切れてる、それから事務所も解散 しちゃった、っていうと全部が新しいんですよ。レコードメーカーも、マネージャーの人も。 そうすっともう新しい人入って来ても全部あれだし、ましてや「悲しみの果て」なんていうのとか 『ココロに花を』なんてアルバムに入ってる曲なんてのは全部新曲でした。そのライブで。 だから実際はライブの本数によって鍛えられてたし、ある程度の確信を持ってたから、 それをまたさらにグレードアップするんだっていうね、そんな気持ちがあったんですからね。 最初土方さんっていうね、非常に丁寧なレコーディングをやらしてもらって、途中からね、 佐久間さんっていう非常にその、元々BOWYとかね、ストリートスライダーズなんてバンドがあった、 それからブルーハーツっていうバンドがあった。その辺のね、人たちもやってんだよ。 佐久間さん。で僕はまた日本のそういった好き嫌いは別として、信用しているロックバンドたちが、やってるプロデューサーっていうんで、非常にどういう人だろうってね、それは 一つやってみる価値はあるんじゃないかって事務所の人達と話し合ってね。」

 

O:「いざでもレコーディングが始まって、とまどいとかなかったですか? バンドの取り方一つ取っても違うわけでしょ?」

 

宮:「そうでしたね。あれ、一番驚いたのはトミが一番驚いたんだ。あれは。」

 

M:「冨永さん、どういう。」

 

トミ:「皆に背中向けてドラム叩いたんですよ。そんとき、初めて。」

 

O:「それはどういう効果が。佐久間さんの狙いは。」

 

トミ:「音とかのことももちろんあったと思うんですけど。」

 

O,M:「へぇー」

 

宮:「音っていうよりね、たぶんね、非常にそのまず〝俺が監督なんだ〟っていうね、 その恣意行動と僕は取ったんですよ。今考えると。」

 

O:「(笑)いま考えると。」

 

宮:「だからだからその要するに俺のいう事、俺なんかさ、『ほれ、石君!またチューニング 狂ってるよ!』なんて言ってて『君がいちばん狂ってるよ』そういうこと!そういうこと! 要するにね、」

 

O:「それ物まね?」

 

宮:「そう、物まね。要するに全体のリーダーは、それで僕らはずいぶんシャープなしゃぎょう、 しゃぎょうだって。作業でしたよ。レコーディングにおいて、一つぜんぜん違うカラーとね、 ムード。だから非常にプレイヤーとしても超一流ですしね、佐久間さん。だから何しろね、 僕らレコーディング、せーのっ!でドーン!っとやってたわけ。それを例えば、ダビングっつってね、後からとれるんですよ。ギターなんかもね。非常に丹念に丹念に佐久間さんね、 やるし、そういうとこなんですよ。僕らやるとね、『そこをもうちょっと、高揚感の中で表現できないのっ!』とかねこういう抽象的なこと言っちゃうでしょ。ところが佐久間さん、 非常にフレーズで、こういうリズムだからって一々理屈があるんですよね。だから僕ら非常に納得しやすかったし。」

 

O:「ケンカとかにはならなかったですか?」

 

宮:「そういうもんは、年齢も僕らより上だしね、先生なんですよね。僕らの上昇気流のままの興奮してっとこに非常にクールダウンしつつね、あの、束ねていくっていうかね。やっぱ それぁプロデュースですよ。ま、監督ね。あとね!佐久間さんとやったCDがね、これね、 やっぱ売れたんだよ!っていうのが一番。それもね、すごいね、今となっては。そん時にね、 あのー、やみくもにやってた僕らの音が正しいって思ってたけども、もっと絶対いい音があったんだけども、要するに、だからまその、自分で聞いててちょっと違う音が鳴ってたのは事実。外国人のトムデュラックっていうね、エンジニアで音をとった。その音が僕は非常に嫌だった。っていうのは事実。それでその、あの・・・だけどね、そりゃ僕が望んでたことだね。 きっとね。その違いを欲してたし。ただね歌がちっちゃいからっていって翌日でかくして下さい、 トムさんって言ってね、佐久間さんに内緒ででかくした曲もあるけどね。」

 

M:「こっそりと。」

 

宮:「そうです。朝とかね。お願いします、トムさん、てね。だけどやっぱ非常に音、 違うんですよ。そういう問題、次元じゃなくて。ぜんっぜん音違って。」

 

O:「具体的に音が違うって言うのはどんな感じで・・」

 

宮:「・・・ま、だからピャーッとしてた。非常に曲によってはね、ドーンっていう、非常にいまでも ドーンってやったほうがいいんじゃないかっていう曲もちろんありますよ。ところがね、 トータルとしてね、練られた、非常にやっぱいい仕事ができたんですよね。えぇ。」


BGM:孤独な旅人

リハーサルでのなごんだ様子が流される。宮本の笑顔。

 

(ナレ):現在のメンバーで活動し始めてから、すでに10年以上の月日が経過した。 紆余曲折の末に、ヒットメーカーとしての地位を築き上げた今、10代の頃から共に歩んできたメンバーは、お互いの存在をどのように見ているのだろうか?


M:「中学生の頃からの付き合い、そのままで来たわけですよね。」

 

宮:「そろそろだから変えたほうがいいでしょうね、これは。」

 

M:(笑)「みなさん、ドキっと・・・」

 

O:「そういうことは一回もなかったんですか?」

 

宮:「ただ僕ら、誰かがいなくなっちゃって、“俺辞めるよ”って言ったらそれで終わっちゃいますからね。4人だから。だから一人これ、そういう緊迫感ってのは あるでしょうね。偶然にもパートそれぞれ違うし。歌、ギター、ベース、ドラムでね。 1個抜けると成り立たない部分、偶然にもなってますから。」

 

M:「さて、結成15年以上のメンバーの方々が、宮本さんのことを一体どういう風に思って いるのでしょうか。それぞれフリップに書いていただきたいと、思います。“宮本さんになおしてほしいこと”を書いて頂きたいと思います。」

 

石:「なおしてほしいことですよね?すいません、ないです。特にないっすね。全然。」

 

M:「じゃほっぺた叩かれたり・・」

 

石:(笑)「つっふふふ。」

 

宮:「やられなくなっちゃうと寂しい。」

 

M:「ない。15年以上お付き合いしていても。変わらないんですか?石森さんは、宮本さん。 この物静かな・・」

 

宮:「石君はねぇ、違いますよ!中学校ん時はねぇ、ケンカっぱやいはねぇ、・・短気でねぇ、 大変でした。」

 

M:「じゃ今は物静か。」

 

宮:「そうですね。随分、そうですね、随分あのときから変わったですね。180度。」

 

O:「宮本さんは、中学の頃と・・」

 

石:「はい。」

 

M:「じゃ普段も中学の頃からこういう・・・熱い(笑)語りで、いつも。」

 

石:「はい。」

 

M:「はぅーん・・・。では、冨永さん。」

 

トミ:「はい。僕も・・あまり・・・」

 

O:「中学生の頃とかわってないと。」

 

M:「なし。なしですか?」

 

トミ:「そうですね。」

 

M:「では、高緑さん。」

 

成:「みんなと一緒で、特になしです。」

 

M:「なし!」

 

成:「そのままで。」

 

O,M:(驚き笑)

 

O:「この4人で、楽というか、安らげる部分も・・・」

 

宮:「ところがね、その音も含めてという部分ですけども、だから全部ねっ!これはまぁいろんな例えばライブとかあるでしょ。それからライブの、要するにその・・・いい音から、 またその、・・・音以外のまたいろんな総合的な部分を考えてね、どう考えてもやっぱバンドってのはかっこいいですよ。ま、だからその、僕なんか、その元々ロックバンドに憧れてた、 まだ僕らその負けないと思う。仲間っていう、パッと出てきた時のね、そのムードとかね、 あるもの!佇まいね。」

 

O:「面構え・・」

 

宮:「えぇ。ま、だからこの非常にそのバンドでやるからにはやっぱこの、4人以外はありえない でしょうね。どう考えても。だからそれがこだわってることかも知れません。はい。」


(ナレ):どんなトップランナーにもあるはずのウィークポイント。さて、エレカシの宮本の弱点とは?


宮:「やっぱその、女性の、異性問題ってのは一番、ウィークポイントっていうかどうか、 一番悩むっていうかね。そういうのはやっぱでかいんじゃないですか?それからやっぱこう、 う~~~~~ん、それウィークポイントっていうかわかんない、女性問題で時間を費やす、 考えることが多かった、またそれが、こう・・・・・それ言っていいかどうかわかんない。 そういうことじゃないんですかねぇ、やっぱり。」

 

M:「女性問題っていうのは惚れっぽいってことですか?」

 

宮:「っえ、ずいぶんねぇ、だけどそれねぇ、あの僕はもっともともんのすごく惚れっぽいの。 それですーっぐ好きになっちゃうの。」

 

O:「一目会ったその日からって感じ?」

 

宮:「・・そうです。盛り上がるのはその日から、盛り上がっちゃうし。パァーっと見てね。」

 

O:「ドキドキドキドキって。」

 

宮:「ところがねぇ、ずいぶんとこれねぇ、これ・・・・・僕は絶対そうは思いたくないんだけども、 多少そういうちょっとこう、あの、セーブが効くっていうか・・・あんまりそこまでドキドキドキってならなくなってはいますね、今。えぇ。」

 

O:「あ、年と共に・・」

 

宮:「年とともにっていうか、最近です、ここ2ヶ月ぐらい。」

 

M:(笑)「2ヵ月ぐらい。この2ヵ月っていうのは何かあったんですか?」

 

宮:「いや、だから特にないですけど。あのね、例えば、電車んなか乗っちゃってもね、すごい、 ドキドキってこうするじゃないですか?僕は電車好きで、よく乗るんですけどもね。 ・・・・・それやっぱ随分ねぇ、あんまり人に注意がいかなくなったっていうか。“俺は俺だ!” みたいなねぇ。(笑)わかんない、そんなこと思ってないよ、電車んのって。 ま、変ですけどもねぇ。」

 

M:「では、好きな人ができて曲が書けなくなってしまったりとかはあるんですか?」

 

O:「ハッピーだと?」

 

宮:「これはねぇ、書けなくなってくるっていうかね・・・・当たり前でしょ、これ。」

 

O:「書けなくて?」

 

M:「なります?」

 

宮:「なるでしょ。だからもう、ひとり彼女なんかできて、それでもう全部、ありえればですよ、 そんなことが。ほんっとに好きで全部これでいいっつったら、その人と、あのぉやってけりゃいいですからね。女の人に限らずなんにでも。ま特に女の人っつったら明解ですけども。 そぉんな素敵な人、一人できたら、もう曲なんか作らないですね。僕は非常にもう絶望の、 こんなこと言っちゃうとだからほんっとにお嫁さんになってくれる人いなくなっちゃうけども、 絶望の、要するにどん底でもうだーれも頼る人いないから、君だけちょっと頼むよってさぁ、 頼むしかないんじゃないですか?」

 

O,M:(驚きのため息)

 

宮:「これ、ただかっこ悪いな、だけど。これをテレビでねぇ言っちゃうとかっこ悪いんですよ。 表舞台ではねぇ、もうちょっとかっこいいこと言っといた方がいいんだ。」(とカメラ目線)


スタジオライブ 「真夜中のヒーロー」


「質問コーナー」

客1:「メンバーの中ではやってるものとか、はやっていることはありますか?」

 

宮:「はやっていることですか?一時期ねぇ、身体鍛えるの随分はやりましたよ。 あの、腕立て・腹筋とかねぇ、ずーいぶんやりましたよ。ただコンサートツアーなんかになると、 そうやって皆でやるんですよ。やることないでしょ?で、腹筋鍛えたりとか。腕立てふせしたりとか。」

 

客1:「何回ぐらいやるんですか?」

 

宮:「石君なんか身体鍛えてるんじゃないですか?」

 

石:「あ、50・・回ずつ・・・ぐらいですか。」

 

O:「ワンセットずつですか?」

 

石:「腕立てと腹筋と。」

 

宮:「僕は今、20回、30回ぐらいしかできないんじゃないですかねぇー。一時期ずいぶんやったん ですけどね。ジム行ってねぇ。いまもう続けてやると25,6回でダウンじゃないですか?」

 

客1:「あ、ありがとうございました。」

 

宮:「はーい。」(めっちゃやさしく)

 

客2:「音楽活動される上での、モットーがあったら教えて下さい。あ、できれば皆さんに御伺いできたら嬉しいです。」

 

宮:「ま、だけどこれね、あのひとつモットーと言っていいのかどうかわかんないですけどね、 これはやっぱこの自分のこう・・存在のなんかこう・・・・・表現っていうか、ここにいるんだっ! っていう、歌うたってんだ!っていう・・・自己主張って言うとちょっと暑っ苦しいですけどね、 そんな気持ちでやってますけどもね。はい。歌でこう、自分の存在をアピールするっていうと変ですけどもね、はいっ。」

 

石:「とにかくこう、頑張ってやろうと。思ってます。」

 

皆:(笑)

 

トミ:「確かにがんばってやろうと思ってるんですけども、なかなか上手に表現できたり、 ぜんぜんできなかったりとか、もちろんしてます。」

 

成:「そうですね、なるべく素直に。シンプルに、考えてますけども。」

 

宮:「モットーっていうか、わかんないけど、ま、そういう風にやってます。はい。」

 

客2:「ありがとうございました。」


M:「今一番表現したいことっていうのはどんなことですか?」

 

宮:「これはね、やっぱだけど、すごいこう、さっき成ちゃん素直にって言ってましたけどもね なんかそうストレートにやっぱねぇ、そのストレートってのは、人間やっぱシンプルなのが いいですねぇ。だからこう、やっぱ非常に、シンプルで、の感覚のものが、形になると いんだけど、それは努力も才能も必要でしょうけども、なにしろっ・・・オーソドックスにドーーーンっと、ギターと歌の中にね。僕、ギターと歌やってますから、そのギターと歌の中にドーーーンっと乗り移ってストレートにね、そうなると素晴らしいものできるんじゃ ないですかね。・・・僕はやっぱロックのね、あの最終的に恐らくそういったエレキギターの サウンドっていうのは実は最終的には好きですから、そういったシンプルなコードの中に 非常にそのいろんなものがストレートに表現できるったら、これは一番かっこいいですよ。 バンドでね。ドーンっとストレートに表現できるのがやっぱかっこいいと思います。はい。」

 

M:「宮本さんにとって、一番かっこいいと思えることって・・・」

 

宮:「これはねぇ、やっぱ男性だったらねぇ、自分の野望っていう部分、まぁ~たこんなこと、 だけど、ま、これね、別にね、あのあれですよね、永遠に残るわけじゃないので、あれなんですけど、ま、だから思い切って言っちゃうと、なんかね野望みたいのあるでしょ。 そぉれにやっぱ向かってね、僕は男性だからね、一直線、ないしは常識・習慣をね、覆すようなね、エネルギーをやっぱ見せ付けられると興奮しますよね。かっこいいと思います。 そういう人って。・・・・野望をなんとか成し遂げようという、思って、そういうエネルギーね。 またその勝利を収めた時の、自信の表情とかね、勝利者が好きですね僕は。・・・・はぁ~だけどそれ、勝利者に至るまでのその敗残者の中の、敗残者って言っちゃいけないな、負けの中の美学。ま、だから結局一生懸命やってる人が好きです。一生懸命やってる人。はい。 そうでしょ?だけど。一生懸命やってる人ってかっこいいですよね。」

 

O:「今日はほんとにありがとうございました。」

 

M:「もうなんかたくさんパワーを・・・」

 

宮:「疲れました。ねっ。ありがとうございました。はい。」

 

M:「いえいえ」

 

宮:「ほんとにね、もう今日は楽しかったですね。ほんとにね。皆さんとも会えたしね。 どうもありがとうございました。ほんとに。失礼しました。」