昔: 品川御殿やま

              改印:安政3年(1856) 4月 

🖼️現在の品川区北品川あたりには、かって徳川将軍家の別邸「品川御殿」が

あったそうです。元禄年間に御殿は焼失したが、今もその名称が残っている。

のち、

吉宗の政策で出身地の吉野桜が植えられ、眺望に優れた名所となった。

が、

1853年(嘉永6年)ペリーが浦賀に来航した。絵 の山肌が削られているのは、

ペリーの開国要求に恐怖した幕府が慌ててここの土を運んで急遽台場を

作ったからだったのです。絵の改印(あらためいん)はその3年後になっています。

絵は日本の近代化第一段の波の犠牲を写していて貴重と言える。

 

昔(江戸末期)

 

👆昔の御殿山を南北に走る太い赤線が今のJR

黄色の線が第一京浜です👇

 

海岸線は大きく東にずれた

 

今: 新八ツ山橋から御殿山を見て

近代化の波第二段は15年後の明治3年(1870)から4年にかけての"削り"。

それは日本最初の鉄道のためだった。今、東海道新幹線、横須賀線、

京浜東北線、山手線などが走り鉄道大動脈となっている。

 

 

👇御殿山通りを進む🚶 この辺りが絵の写生場所かも?

 

👇進んで左側(上の写真左に赤くて小さい郵便箱)を見て…

この高低差が山だったことを物語っている。

 

👇網目から見た御殿山

 

 

👇線路を越して左側

 

👇線路を越して右手には御殿山庭園……花嫁写真の前撮りか?

 

👇御殿山庭園の滝…この滝は明らかに土石採取場の跡でしょう。

 

👇桜越しにみる…東京マリオットホテル

 

 

 

お付きあいありがとうございました😊