広告紹介(仮) -19ページ目

臆病を脱却

自分という存在が衰退しまた消えて行く。これは必然的に起こり得ることなのだろうか。私は人を率いたり、信頼を得られることはできないのだろうか。多岐に渡り疑問が溢れ反る日々。私は自分に甘い。嫌なことはとことん日延べさせ、好きなことは期日より早める。そして、己を批判されたたくない為、なるべく温厚に交渉などをする。そのせいか本来の自分を見失っていき私は大衆に道具として利用される。誇張すれば奴隷のようなもの。もう、そのように大衆にに捉えられないように主張しなければならない。それにいつまでも人間に怯えている自分から脱却したいから。たとえ、そのさきにどんな困難があろうとも現在みたく扱われるのは迷惑千万だ。

比喩の難しさ

今度この日記に綴る際は以前とは掛け離れた自分になろうと決心したがそれは淡い考えで理想の自分にはなれなかった。そもそも理想的な自分がわからない。どんなものを望んでいるのかどんな姿になればいいのか了解困難だ。

現実世界の私は常に人間に利用され、操られ、そして真偽を確かめながら生活をしている。安易に言えば今にも動物園から外へ脱走したい猿だ。そして、その猿はどうすればこの堀を飛び越えて自然に帰ることが出来るか考えている。だけど、堀の長さはたったのニメートルにも及ばない。いとも簡単に飛び越えられる筈なのに何故飛び越えようとしないのか。それは係員という無数の網がかけられているからだ。もし、飛び越えた現場を係員にすんなりと捕獲されてしまう。だから、係員に監視されていない時に飛び越えるか別の方法で脱走する計画を練らないといけない。そのためには技巧を凝らしていく訳だが中々突破口が掴めずその度に今なら逃げ切れるというタイミングも失う。堂々巡りをしている毎日なのだ。

意味不明な文

知らず知らずと月日が経ち、季節が変わる。それは全ての人間に共通することだけど、個人的な変化は皆違う。新しい環境に移り最初は馴染めなかったり、苦痛だったりするが月日の経過とともに段々と場に馴染んできて居心地がよくなったりする。しかし、その逆も起こり得る可能性もなくはない。それは、何かの病気を患うことや人間関係の乱れなどで生じると私思う。勿論始めから今までが良い傾向や始めから悪い傾向もあるが私が述べたいのは中途からその良し悪しが反転することについてだ。そして私は現在その状況にいる。いや、厳密な言い方をすればその境目かもしれない。言葉ではとても表しにくく、この現実が複雑に作られているため私にはその全貌が見えない