新潟豪雨「本当に助かりました」避難所に100個以上積まれた「山崎のパン」避難民が大感謝!
8月3日に、東北地方から北陸地方を集中的に襲った豪雨。その爪痕は大きく、新潟県や石川県の一部では、住宅崩壊や道路陥落などの影響で、現在も通行止めが続いているところがある。
とくに、降水量の多かった新潟県村上市では、4日に9カ所、翌5日に2カ所の避難所が開設された。そのうちのひとつである、村上市・荒川地区公民館を訪れると、十数人が荷物を抱え、避難している姿を目にした。
避難中の70歳女性はこう語る。
「3日の夜中に玄関から浸水してきたと思ったら、一気に水位が増えて膝くらいまで水が浸かりました。大雨注意報は出ていましたが、まさかここまでになると思わなくて、パニックになりましたよ」
避難所でひと際、目立っていたのが、公民館に入ってすぐの入り口と、被災者が身を寄せる館内の2カ所に100個以上積まれた「山崎製パン」のパンだ。
「一人暮らしで、どうすればいいか分からず、何も持たずに避難所に急いで来ました。翌日、水が引いてから、近くの銀行やATMに行ったけど、どこも壊れていて、お金が下ろせないでしょ。食べ物もなくて、困ってたら『山崎製パン』の方がたくさん差し入れしてくださって、本当に助かりました。嬉しかったですね」(前出の女性)
別の、避難中の75歳の女性も頷く。
「家に帰っても、水道が止まってるから料理できないの。自宅の中も泥だらけで、それどころじゃないしね。でもここには、いろんな種類のパンを持ってきてくれたからね、安心できるよ」
山崎製パンといえば、東日本大震災や阪神淡路大震災のときにも、大量の差し入れをしたことで知られている。
「19歳、怖いもの知らずのド派手ギャルだったあたし。だけど乗る新幹線をミスって号泣...そしたら隣のおじさんが」
時はコギャル全盛期。 キャミソールに短パン、おもちゃの様なアクセサリーをいっぱい付けた、怖いもの知らずの19歳のあたし。
その日は、遅い時間の新幹線で名古屋から実家のある浜松へ向かおうとしていた。駅の改札で彼氏に見送ってもらい、ホームでは一人。新幹線が来たので、乗り込んだ。
その後のことは、忘れもしない......。あたしは28分発の「こだま」に乗るはずだったのに、27分発の「のぞみ」に乗ってしまっていた。
目的地に近付いているのに、減速しない!
新幹線に1人で乗るのは初めて。まず乗り込んだのはグリーン車で、そのことに気付かず「あれ?超席あいてんじゃん。新幹線なんて余裕~!」なんて思い足を組んで座る。
しばらくして車掌さんが確認に来て、自由席に行かされた。そりゃそうだ。
車両を移ってドスンと座ったのは、スーツのおじ様の隣の座席だった。
その席であたしは不安になった。新幹線は浜松に近付いているのに減速しなかったからだ。
そこで表示を確認すると、名古屋の次は横浜だと書いてあった。あたしはようやく気がついた。
「コレ、浜松停まらない!!」
気づき、絶望、そして号泣
「コレ、のぞみじゃね?あたしが乗るのと違うくね?横浜って。。。遠!行き過ぎじゃね?もう電車なくね??帰れる?帰れる??ねえー!! どーしーよー!!!」
さっきまでの威勢はどこいった?? 急に小学生のように両親が恋しくなるあたし。
手が震えた。キャミソール1枚だったけど、エアコンが寒いんじゃない。
あたしはどうしようもなく不安になり泣いてしまった。。。。
と話しかけてきた。
「彼氏と喧嘩したの?」
もう頭真っ白になったあたしは「彼氏が!28分って言ったのに27分で!!」って泣きながら言った。
そしたらおじ様は「彼氏と喧嘩したの?」。
「ちがう 、27分のっちゃって」......そんな風に泣きながらたどたどしく説明するあたしの話を、おじ様は一生懸命理解しようと聞いてくれた。
あたしはパニックに震えるあまり、「横浜」という感じすら書けなくなってしまっていた。
そんなあたしを見ておじ様は一緒に横浜で降りてくれた。
横浜で降りた後も、涙はとまらなくて...
横浜で実家に電話したけど、あたしは泣いてうまく話せない。だから、おじ様がかわりに事情を説明してくれた。
それだけじゃなくて、泣き止ませようと落ち着かせてくれた。飲み物も買ってくれた。それに、帰りの電車の切符も買ってくれた。
あたしは何度も何度もお礼を言った。名前だって聞こうとしたけど、おじ様は「名乗る程の者じゃないから」と笑ってた。
そして「この電車に乗れば帰れるから」と丁寧に書いた紙を渡してくれて改札口でサヨナラ。
「まだまだガキだ~!」
そして、あたしが乗る電車がホームにやってきた。乗車してから笑顔でおじ様に手を振ると、おじ様もずっと手を振ってくれた。
名前は聞けずじまいだったけど、ホントにありがとう。
駅に着くと、改札口で両親が待ってた。「あたしはまだまだガキだ~!」と痛感した。
今でも新幹線に乗る時は間違えないかドキドキする。そして、おじ様のことを思い出す。もう顔も覚えてないし、この先すれ違う事も無いだろう人だけど、ずっと忘れない。
ずっとずっと、ありがとう。
余命3か月の父のために娘が結婚式を開催…付き添いの看護師が挙式当日の朝に驚愕した“衝撃的な事実”「え? 嘘でしょ?」
病室でパジャマ姿の父が、娘の結婚式でハレの日の装いに
教会の扉の前で、花嫁の登場を心待ちにしていたのは、新婦の父・篠田さん。そこに、純白のウエディングドレスを身にまとった、娘のみきさんが現れました。ぱっと花咲くような満面の笑みで父のもとに駆け寄っていきます。
娘の初めて見る晴れ姿に、篠田さんはハッと息を呑み、車椅子から見上げています。その手には、最愛の妻であり、みきさんの母の遺影を抱いて。
夏の足音が間近に感じられる7月上旬。
篠田さんの娘さんの結婚式が行われました。オープニングは、父と亡き母、娘による“ファーストミート”の時間です。
「わぁ、お父さん、見違えたね! スーツも髪型もとっても似合ってる。今日は来てくれて本当にありがとう」
いつもは病室でパジャマ姿の父が、ビシッとハレの日の装いになり、驚きと感動が入り混じるみきさん。
思わずしゃがみこんで、父の両手を握りしめました。
篠田さんは、みきさんの声に「うん、うん」とうなずき、口角をキュッと上げて、うれしさが込み上げているようです。
まもなく式が始まり、新婦の入場です。みきさんのお兄さんが父の車椅子を押すために後ろでスタンバイ。ずっと待ち望んでいた、父と娘でバージンロードを歩く瞬間がもうすぐ訪れようとしていました。
肺がんが脳に転移した父のために結婚式を…
「がんが進行して、死期が迫っている父のために結婚式を挙げたいのですが、できるでしょうか?」
友人のドクターを通じて、娘のみきさんから問い合わせがあったのは、ほんの10日前のこと。すぐさまオンラインで打ち合わせをすると、みきさんはホスピスの病室にいました。どうやらお父さんのベッドサイドにいるようです。
「今日は父の意識がなくて……」
画面の向こうから、ゴーゴーと篠田さんの大きないびきが聞こえてきます。肺がんが脳に転移しているらしく、「これはかなり危険な状況かも」と不安がよぎりました。
「余命3カ月と言われてから、すでにその3カ月目に突入している」と聞き、もういつ亡くなってもおかしくない状態なんだとわかりました。
「実は私、すでに入籍していて、もうすぐ2歳になる息子もいるんです。でも、結婚式ができていなかったのがずっと心残りで……。父に私たち夫婦の結婚式を見届けてもらいたいです」
「みきさんのお気持ち、よくわかりました。では、式の準備は進めて、お父さんの容態を見ながら参列できるかどうか判断しましょう」
僕はそう答えたものの、友人のドクターと「篠田さん、式に出るのは厳しい可能性もあるね」とひそかに話し、万が一の際の心構えをしておきました。
今回ばかりは、かなう確率は低いかもしれない。でも、奇跡が起こることを信じ、ご家族の方たちと式の準備に取りかかりました。
「篠田一家の結婚式大作戦」
4人きょうだいの末っ子だというみきさん。お兄さんと2人のお姉さんとは仲がよい様子で、早速みきさんを中心に「篠田一家の結婚式大作戦」が始まりました。
まずは、ごきょうだいが超特急で式場となる教会を予約。壁一面ガラス張りで、陽(ひ)の光と木々の鮮やかな緑が目に飛び込む、美しい教会です。新郎新婦も衣装合わせなど着々と準備が進んでいきます。
「音楽が好きなお父さんのために教会で生演奏ができないか」と考えたお姉さん。通勤路でたまたま見つけたハープ教室に、突撃訪問するというファインプレーを見せてくれました。いきなりのオファーにもかかわらず、演奏家の方々が快く引き受けてくれて、当日はハープと弦楽器による三重奏をしてもらえることになりました。
こうして次々と僕のもとに吉報が届きます。家族全員が思いをひとつにして動くと、どんどんいい流れがやってくる。こういうときは必ずうまくいくと、これまでのかなえるナースの経験で実証済みです。
実際、篠田さんの容態は少しずつ回復。当初は意識がもうろうとして、食事もとれない状態でしたが、ちょっとずつ食べ物も口にできるまでになったとのこと。娘さんから結婚式の話を聞いて、生きる気力が湧いてきたようです。
「篠田さんは大丈夫だ」。僕は確信めいたものを感じました。
篠田さん父娘の知られざる衝撃的な事実
いよいよ結婚式当日の朝。
そこで思いも寄らない衝撃的な事実を耳にしました。
みきさんと篠田さん父娘(おやこ)間に、長い間確執があったというではありませんか! どこからどう見ても、仲むつまじい親子にしか見えないのに、あまりのギャップに「え? 嘘(うそ)でしょ?」とひっくり返りそうになりました。
2人の間の知られざるドラマは、彼女の学生時代にまでさかのぼります。
小さいころはお父さんのことが大好きで、仲がよかったというみきさん。高校生のときにお父さんが肺がんを患い、家にいる時間が長くなったことで、彼女の行動に対して何かと口を挟まれるようになりました。
「ただいま」
「いったい、こんな時間まで何やってたんだ!」
みきさんの帰りがちょっとでも遅くなるとガミガミ。
「何って、友達とちょっと遊んでただけだよ。もう、お父さんうるさい!」
最初こそはお父さんの小言に言い返していましたが、次第にうるさく言われるのが嫌になり、夜遅くまでアルバイトを入れて避けるようになりました。そうして互いに口をきくことも、顔を合わせることも少なくなっていったのです。
その数年後、みきさんは職場の方とお付き合いするようになり、のちに妊娠が判明。いわゆる授かり婚をすることになりました。娘の突然の報告に、父はすんなり納得できず、ますます溝は深まっていくばかりでした。
父娘関係を見守り続けてきた母が大きな病に襲われる
そんな父娘(おやこ)関係をそばで見守り続けてきたお母さんが、突然大きな病に襲われてしまいました。悪性リンパ腫にかかってしまったのです。
病床でつらい治療に励みながらも、母は折りに触れてこう言いました。
「みき、結婚式は挙げないの? お母さんは式をやってほしいな」
「うーん。でも、旦那さんの仕事も忙しいし、今はまだ難しいと思う」
「そっか……。なら、いいの。私のわがままを言ってごめんね」
両親ともにクリスチャンであることから、「神様の前できちんと結婚を誓ってほしい」という母の望みは、子どもなりによくわかっていました。同時に、「結婚式を機に、お父さんと仲直りしてほしい」という願いも……。母の思いを痛いほど感じながらも、そのときはまだ、踏ん切りがつけられないでいたのです。
不運は重なるもので、今度はお父さんがお風呂場で倒れて救急搬送。肺がんが脳に転移し、さらに病状が悪化してしまったのです。口うるさかった父がどんどん口がきけなくなり、弱り果てていく。その姿を目の当たりにするうちに、みきさんはこれまでの父への態度を省みるようになりました。
ふと、だいぶ前にお父さんからSNSの友達申請が来ていたことを思い出しました。申請が来ていたことはわかっていたものの、ずっと向き合えずにいたのです。
父がSNSに投稿していた写真を見てみると…
友達リクエストの承認ボタンを押し、父の投稿を見てみると、そこには家族の写真があふれていました。皆で沖縄に旅行に行って、海に潜ったときの写真。お母さんと食事したときのラブラブツーショット。孫を抱っこして、デレデレと笑っている父の顔写真……。
その中に一枚、みきさんと2人並んで撮った写真が、「プロフィール写真」として投稿されているのを見つけました。高校時代、久しぶりに家族皆で食事に行ったときの写真です。レストランのテーブルで、2人揃(そろ)ってぎこちない笑顔。それでもお父さんはうれしかったのか、みきさんの肩に手を伸ばし、そっと抱きしめています。ちょっと緊張して指先がピンとなりながら。
「隣に写っているのはみきちゃんですか?」という父の友人からのコメントに、「はい、みきです。すっかり大きくなって高校生になりました。最近はめったに一緒に出かけることがなくなってしまったので、これが貴重なお出かけの一枚です」。
そう返事が書かれていました。
「お父さん、私の写真まで載せちゃって……。私のこと、ずっとずっと思っていてくれていたんだね。働き盛りのときに突然病気になって、きっと相当つらかったはずなのに、私はいつも生意気な口をきいて、遠ざけて、お父さんを傷つけた。本当にごめんなさい……」
思わぬ形で父の本心を知り、涙がとめどなくあふれる。その瞬間、凍っていた心がスーッと溶けていくのでした。
父と母への愛が、みきさんを突き動かしていく
それからみきさんは、父との時間を取り戻すかのように、毎日病室に通うようになりました。一緒にいる時間が増えるたび、父の優しい面がどんどん見えてきます。
自分も病気で苦しいはずなのに、「お母さん、どうしてるかな?」と、別の病院に入院する母を心配する。母も身体の痛みに耐えながら、「お父さんの体調はどう?」と気にかける。そういえば、入院する前も父と母は互いを気遣い、「がんばろうね」「元気になろうね」と闘病生活を支え合ってきた。両親の互いを思い合う姿が思い出され、その愛の深さに心打たれるようになっていったのです。
あらゆる手を尽くして治療が施されましたが、その甲斐(かい)もなく、お母さんは他界。最後まで「結婚式を挙げてほしい」と言い続けてきた母の、遺言とも思える一言が後押しとなって、みきさんは結婚式を挙げようと立ち上がりました。
「みきは子どものころからすごく控えめで、自分から行動を起こすようなタイプじゃないんです。だから、みきがお父さんのためにアクションを起こしたことにびっくりしたというか……」
一番上のお姉さんが、ぽそっと教えてくれました。
だとすると、お父さん、お母さんへの愛が、彼女を突き動かしたに違いない。人は、愛する人のためだったらなんだってできる。怖いとか、恥ずかしいとか、自分の感情はさしおいて、とてつもないパワーが出ることを、僕はかなえるナースのクライアントさんを見てきて知っていました。
式が始まる5分前。篠田さんが教会に到着しました。扉の前で、父と亡き母、娘のわずか数分だけのファーストミートが終わると、すぐに新婦の入場です。みきさんは、隣にいるお父さんの腕を優しく握りました。
目の前には新郎のもとへと続く真っ白なバージンロード。一歩ずつ、ゆっくりと進んでいきます。みきさんがこの両親のもとに生まれ、育てられ、大人へと成長するまでの道のりを1つひとつ愛(いつく)しむかのように……。遺影の中のお母さんも、お父さんの手の中でにっこりと笑って、バージンロードを歩いています。
新郎のもとまでたどり着くと、お父さんは彼の手をしっかりと握りました。
「娘を頼んだぞ」
声には出さずとも、心の中でそう言っているように見えました。本当はずっと前から、こうしたかったんじゃないかな。僕はそう感じました。
母の願い通り、神様の前で結婚の誓いを立てると、みきさんからお父さんに向けて、感謝の手紙が読み上げられました。
「あたしも、お父さんのように死ねたら幸せやな」最期の時間を家族と過ごした90歳女性が亡くなる前に叶えた“3つの願い”
母に育児放棄されたアシカの子→人工飼育で生き延び、飼育員にベッタリ「天使の寝顔」
ピンク色のシャツを着た飼育員さんの膝の上でお昼寝をしているアシカさんの写真に癒される人が続出しています。注目はその表情!うっとりと目を閉じ、口元も緩んでいてなんとも幸せそうです。投稿したのは、今年で創業91年目を迎えた高知県にある「桂浜水族館」です。詳しい話を聞きました。
【写真】膝枕でスヤスヤとお昼寝しています
リプ欄には癒されコメントがたくさん寄せられています。
「こっちまで幸せな気持ちになれます可愛い」
「安心だねぇ~♡」
「天使の微笑みや……」
「めっちゃ癒される」
「なにこの天使の寝顔は。とろけてまぅぅう~」
「( ˘ω˘)スヤァにも程がある」
「幸せって、多分こういうこと。」
また、同水族館が6月にショータイム廃止を発表したことから、「この顔見たら、ショーをやめて正解だと思いました。よかったね」という声もありました。アシカさんとショーについても、桂浜水族館に話をうかがいました。
母親に育児放棄されてしまった赤ちゃんアシカだった
――このアシカさんについて教えてください。
「カリフォルニアアシカで名前はコエル、昨年6月に桂浜水族館で生まれた1歳の女の子です。通常アシカの出産にかかる時間は、だいたい30分~40分といわれていますが、コエルの母親であるエルは初産ということもあり、出産に7時間かかりました。
母親は長時間のお産に疲弊し、育児を放棄してしまいました。母乳を一滴も飲む機会もなく人工哺育となり、いつ死んでしまってもおかしくない状況が続きましたが、飼育員たちが必死で子育てに励んだ甲斐あってすくすくと育ち、先日無事1歳のお誕生日を迎えました。コロナ禍で生まれたいのち。この世に生まれる瞬間から「死」を乗り越えたコエル。苦境や苦難を「乗り”越える”」という意味を込めて「コエル」と名付けました」
――この寝顔になったシチュエーションを教えてください。
「コエルは館内を大冒険したあと、飼育員の膝枕で日向ぼっこしています。時々ちらっと目を開けますが、すぐにまた気持ちよさそうにすやすやと。ミルクを飲んだ後やお母さんアシカのトレーニング中など、コエルはよく館内を大冒険したり、飼育員の膝枕で日向ぼっこしたり、飼育員のあごをちゅっちゅちゅっちゅ吸ったりしています」
――このような表情になることはよくあるのでしょうか。
「日常茶飯事です(笑)。飼育員を押し倒して身体の上で眠ったり、今回のように膝枕でうとうとしたりしています。コエルは自由奔放で好奇心旺盛、人間の、特に男の人が大好きです。タイミングが合えばお客さんもこのようなシーンに立ち会うことができますよ」
「ショーのメリットを活かしきれていなかった」
桂浜水族館の飼育員とスイゾクとの関係は「親子であり友人であり恋人であり家族であり仲間」と言います。強い絆で結ばれていることがわかります。そんな魅力たっぷりの桂浜水族館は、今年ショーの廃止を決定し話題になりました。
――ショーを廃止された経緯は?
「新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、毎日開催していたショーイベントを2020年に一旦中止したことが始まりでした。ショー自体は10分程度のものですが、台本を作ったり、音楽や道具を用意したり、人前に出る心の準備をしたりと、ショーのためにいろいろな時間を費やしていました。
その時間を、飼育員たちはその時間を生きものと向き合う時間にあてることができるようになり、どうすれば生きものたちが健康的で幸せにいのちを全うすることができるか考える余裕が生まれました。遊びの種類を増やしたり運動内容を工夫したり、生きものと濃密な時間を過ごすことでさらに信頼関係が深まり、同時に、飼育員たちの観察力やトレーニング力が向上しました」
――ショーを廃止することで飼育員の働き方が変わったんですね。
「そうです。当館の「ショータイム廃止」は、動物擁護の観点より“働き方改革”に重きを置いています。時代が変われば、人々の生き方や世論も変わります。ここで働くスタッフが変われば、当然働き方も変わります。これは、コロナ禍において令和時代に新しい働き方として見出した“今の桂浜水族館”の在り方です。私たちが選んだ答えであって、すべてではありません。
私たちの場合は、ショータイムというしばりがなくなったことで心や時間の余裕ができた飼育員たちは、働き甲斐を見つけ、自ら仕事を見つけ、積極的に新しいことに挑戦するようになり、ひとりひとりがより強く個性を発揮しだしました。飼育員が生き生きしていると、その表情やしぐさから、生きものたちは人の心を敏感に読み取って、もっともっと心を開いてくれるようになりました」
――でも本来であればショーは、水族館にとっての目玉ですよね?
「「ショー」は、集客が見込めれば一度に多くの人に向けて生態解説を行うことができます。しかしながら当館は田舎の小さな施設であり、「日本一フォロワー数と来館者数が比例しない水族館」とはよくいったもので、普段の来館者数は他の施設と比べて極めて少ないのです。そう考えると、当水族館では、「一度に多くの人に向けて生きものついて知ってもらう」というショーのメリットを活かしきれていないと感じました」
――ショーのかわりにお客さまにとってのお楽しみが減ったのでは?
「これまではショータイムやイベントタイムとして決まった時間に行っていましたが、その日いつなにが起こるかわからない「宝さがし」のような状況になりました。また、お客さまから話しかけられることが増え、いろいろとお伝えできるようになって、コミュニケーションを楽しんでもらえるようになったと思います。
館内を巡っていて偶然の出会いを楽しんでいただき、動物たちの生き生きとした姿を見ていただければと思います」
――今後の展望を教えてください。
「私たちはなににおいても“水族館”という枠にはまらないことを心がけています。職種や業界の垣根を越えて、さまざまなカテゴリーの方々と積極的に出会い、繋がりを広げ、桂浜水族館を更新していきたいと思っています」
◇ ◇
桂浜水族館は太平洋を一望できるロケーションにあり、土佐湾に生息する魚を中心に、約220種4000点の生きものを飼育。手書きのお魚解説版や思わずツッコミを入れたくなるような館内の面白POPが随所にあり、ウミガメ、ヒレアシ、ペンギン、カピバラなど館内ほぼすべての生きものにエサやり体験ができ、トドやアシカのトレーニングタイムが楽しめます。
「手を伸ばせば触れられるほど近い距離にいる生きものたちのリアルな声や匂い、呼吸を感じられます。個性豊かなスタッフとスイゾクたちの愛が溢れるまったり空間に、ハートフルな気持ちになること間違いなしです。
雨宿りの母子に傘差し出し立ち去る…
雨宿りをしていた女性と赤ちゃんに傘を差し出し立ち去った男性の行動に称賛の声が相次いでいます。まいどなニュースでは、男性の妻に取材。男性はネット上で「王子様みたい」「さりげない行動かっこいい」「めちゃくちゃ感動した」と絶賛されていることについて「大したことしてないけん、こんななってびっくり」と驚いているといいます。
男性のさりげない行動が話題になりました
今回の経緯はこうです。5月26日午前、福岡県の姪浜駅近くを車で走行中だった男性は、ゲリラ豪雨のため木の下で雨宿りをする女性を見かけました。胸には赤ちゃんを抱っこしています。車を路肩に止め、車内にあった妻の傘を手に女性に駆け寄りました。「これどうぞ、使ってください!」。女性は遠慮しましたが、「全然気にしないで、僕が勝手にしたかっただけです。傘も返さなくて大丈夫ですよ」と渡し、そのまま別れました。
女性はこの出来事にいたく感動。「改めてお礼を言いたいです」と男性探しを始めました。「ダメ元で」Twitterに借りた傘の写真とともに投稿。すると、数時間で男性の妻が「私の旦那が今日駅周辺で赤ちゃん抱っこ紐したママさんに私の傘をあげたって言っていたので…傘も同じなのでもしかしたら…?」と反応したことから、男性の身元が判明しました。
男性の妻「常にやさしいです」
男性の妻、Twitterユーザーの「優 姫」さん(@y_omom_n)に話を聞くと、男性は普段からやさしい性格のようで「常にやさしいです。子煩悩で子供が産まれてからさらに仕事に家事やご飯、育児を頑張ってくれてます。飲みとか遊びすら行かなくなっちゃったのでむしろ息抜き出来ているか心配です」と笑って明かしてくれました。
Twitterで自分の傘の写真を見つけた瞬間は「私の傘に似てるな~そういえばさっき旦那がぬれてたママさんに傘あげたって言いよったけん、まさか…」と思ったそう。Twitter上では「自分の傘を見ず知らずの人にあげても怒らない奥さんもすごい」という声が上がりましたが、「同じ状況だったら私も傘をあげるだろうからナイス旦那です!」。

