一番下の部分で(上の写真の石でできてる四角の部分)火を焚きます。
ここを横から見ると下の写真のようになっており、左側が石炭を入れる所、右側が鉄を入れる所で、高熱で溶けた鉄が2枚下の写真の下側の穴から出てくるという仕掛け。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230712/22/ambysm/49/89/j/o1080072015311532409.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230712/22/ambysm/5d/83/j/o1080060215311532414.jpg?caw=800)
シンボル的な塔は煙突です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230712/22/ambysm/03/93/j/o0720108015311532422.jpg?caw=800)
重い鉄塊である大砲を造る場所が海の傍でもない何故韮山だったのかを尋ねると、当初下田に造り始めたのだが、幕末の日本はペリーが下田へ来て、幕府の機密事項である大砲製作の秘密を守るため、韮山になったのだそうです。
明治日本の産業革命遺産は、前回九州へ行った時も三角西港へ行きましたが、江戸末期から明治にかけては、いろんな人が活躍されています。